ウィーンの国連で10月28日、国際赤十字赤新月社連盟が2014年版「世界災害報告書」(World Disasters Report)を公表した。昨年の報告書のテーマは「災害時での人道支援と通信技術の役割」だったが、今年の報告書は「文化とリスク」(Culture and Risk)の関係に焦点を合わせて考察している。報告書は7章から構成されているが、2章で「宗教と信仰は危機対応への考えや対策にどのような影響を与えるか」(How religion and beriefs influence perceptions of and attitudes towards risk)という興味深いテーマを扱っている。
▲最新の「世界災害報告書」
「文化と危機」の関係とは、インドネシアの津波、ニューオリオンズのハリケーン・カトリーナ、そして東日本大震災などの大惨事では、被災地の文化的、宗教的な考えを踏まえて危機救済活動を行っていかなければならないという視点だ。
例えば、インドネシアの津波(2004年)で大被害を受けたアチェ州(Aceh)の人々は「観光業や原油採掘を容認したことに対する一種の聖なる刑罰、懲罰だ」と信じている。インドのコシ川の氾濫の場合(2008年)、人々は「洪水は女神の怒りだ」と受け取っている。ムラピ山の噴火の時(10年)もそうだった。
ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)が米国東部のルイジアナ州ニューオリンズ市を襲い、多くの犠牲者を出したが、その原因について「同市の5カ所の中絶病院とナイトクラブが破壊されたのは偶然ではない」と述べ、「神の天罰が下された」といった天罰説がキリスト教会の一部で広がったものだ。西アフリカ諸国で猛威を振るうエボラ出血熱の場合でも住民の文化的、宗教的考え方が感染防止の努力を阻害するケースが報告されている、といった具合だ。
古くなるが、1755年11月1日、ポルトガルの首都リスボンを襲った大地震は当時の欧州に文化的、思想的影響を与えた。ヴォルテール(Voltaire)、カント(Kant)、レッシング(Lessing)、ルソー(Rousseau)など当時の欧州の代表的啓蒙思想家たちはリスボン地震で大きな思想的挑戦を受けたといわれている。彼らを悩ましたテーマは「全欧州の文化、思想はこのカタストロフィーをどのように咀嚼し、解釈できるか」というものだった。大震災はカトリック教国ポルトガル国民の信仰にも大きな影響を及ぼした。「神はこのような大惨事をなぜ容認されたか」といった「神の沈黙」への最初の問い掛けが呟かれている(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参考)。
ちなみに、東日本大震災では被災者が冷静に対応し、パニックに陥る被災者が少なかったことについて、欧米メディアは驚き、被災者の文化的、宗教的考え方に関心を注いだことはまだ記憶に新しい。「神道の影響」を指摘する声から、「日本は地震や台風など天災の影響を受けてきた。だから日本人は自然の災難に対して諦観が強い。その経験が日本人を災害時に冷静にさせる」という考え方までさまざまな見解が報告書で紹介されている。参考までに、2012年のNHKの調査結果によると、「災害時の日本人の冷静さ、秩序よさは特定の宗教や文化とは関係がない」という意見が26%を占めていた。
報告書は「被災者(地)の宗教、文化の影響は危機管理ではプラスとマイナスの両面がある。ただし、被災地の文化に対する理解なくして、危機管理を効果的に実施できない」と強調している。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。