中国の習近平国家主席は、共産党の第4回全体会議で「法治国家に関する決定」を発表し、これを欧米のメディアは「中国が法の支配を導入する」と報じました。日本のマスコミも同じように報じましたが、これは間違いです。
たしかに人民日報英語版は、これを”Xi says China adheres to socialist path in rule of law“という見出しで報じています。ところがこの報告の原文は「中共中央关于全面推进依法治国若干重大问题的决定」となっています。これは「法によって支配する」という意味で、「法が支配する」法の支配とはまったく違います。
よい子のみなさんには、この違いがよくわからないでしょう。「法によって」支配するというのは、たとえば交通違反をしたら、おまわりさんが道路交通法で取り締まるようなものでわかりやすいのですが、「法が支配する」ってどういうことでしょうか?
たとえば家の前の道が制限速度40キロで、お父さんはいつもそれを守って車で会社に行っていたとしましょう。ところがある日、おまわりさんがやってきて「きょうから制限速度が30キロになったので逮捕する」といって、お父さんが逮捕されたらどうでしょうか。
まさかと思うでしょうが、中国ではそういうことがよくあります。共産党が気に入らない人を逮捕するために、法律や解釈を決めるのです。中国には、こういう「法家思想」は2000年ぐらい前からありますが、法の支配はありません。
法の支配というのは、上の例でいうと、きょう改正した法律で昔の行動を罰することはできないという「自然法」が国より上位にあるという考え方です。この自然法を条文にしたのが憲法ですが、別に文章になってなくてもかまいません(イギリスには憲法がありません)。法が国を支配するというルールが、みなさんを守っているのです。
では、その法を支配するのはだれでしょうか。みなさんです。国民が選挙で議員を選び、彼らが法をつくって国を支配するのが民主国家の原則です。もちろん実際には、みなさんが法律をつくることはできませんが、そう決めないと中国共産党のように勝手に法律を決める独裁者が出てきます。議会で決めることが大事なのです。
このように法の支配というのは一種のフィクションで、西洋以外ではほとんど理解されていません。日本でも、法律で何も決まっていないのに、首相が「お願い」して原発を止めたままになっています。ここでは法律より上に「空気」があるのでしょう。
こういうしくみの欠点は、その「空気」を変える方法がないことです。法の支配のもとでは、法改正によってルールを変えられますが、法を超える存在があると変えようがありません。戦前の日本では、天皇が「空気」の代名詞でした。この点では、日本は戦前から何も進歩していないのです。