NYタイムズの敗北宣言

池田 信夫

マーティン、

久しぶりに、君の記事を熟読したよ。君は私のところに2度やって来て日本経済について話し、われわれの意見はほぼ一致した。君の日本語は見事なので、この手紙も日本語で書く。英語の手紙は前に書いたけど、読んでくれたかな。


もちろん読んだだろう。君は私のブログの熱心な読者だし、田淵広子記者も私と何度も議論した。事実にもとづいて論理的に議論する訓練ができている点は、朝日新聞よりずっと上だと思う。今回の記事も、朝日の敗北宣言から4ヶ月たって、10月の曖昧な記事に比べると、事実関係を率直に認めている。

君が私のブログから学んだもっとも大事なポイントは、君と田淵記者の敬愛する大西元支局長の記事は擁護できないということだと思う。君はこう書いている。

There is little evidence that the Japanese military abducted or was directly involved in entrapping women in Korea, which had been a Japanese colony for decades when the war began, although the women and activists who support them say the women were often deceived and forced to work against their will.

朝日が「軍などが連行した資料は見つかっていません」と認めたのに比べると、little evidenceというのは往生際が悪いが、大西のようにインドネシアの強姦事件を持ち出さなくなったのは一歩前進だ。

これがすべてだ。私的な売春を軍が管理しただけで、日本政府が「性奴隷」を使ったわけではない。人身売買があったことは明らかだが、田淵記者のいうenslavementで罰せられるのは業者であって、政府ではない。

あとは植村隆のインタビューがスクープだが、日本のメディアから逃げている彼が(自分に好意的だと知っている)NYTの取材だけを受けるのは、ジャーナリストとして卑怯だとは思わなかったのだろうか。

一つだけマイナーバグを指摘しておくと、“It has also emboldened revisionists calling for a reconsideration of the government’s 1993 apology”というのは間違いだ。安倍首相は(NYTが思っているほど)バカじゃないので、河野談話を修正するつもりはない。朝日が強制連行の嘘を認めれば、もう事実関係に争いはないからだ。

いずれにしても、この記事からは君の迷いや悩みが伝わってくる。本社からは「日本の右翼に反撃しろ」という指示が来たと思うが、調べれば調べるほど、朝日の記事もNYTの記事も擁護できないことがわかったのだろう。それを無理やり「右翼の安倍首相が朝日をいじめている」という話に仕立てたわけだ。

だから内容的には、これはNYTの敗北宣言だ。私(を含めて多くの人)が嘘つきと断定した大西の記事をまったく擁護せず、「人身売買はあった」などという弁解もしていない。これはNYTとしてはぎりぎりの妥協点かもしれないが、彼の嘘は永遠に残る。それでいいのだろうか。

君もわかったように、大西の記事は嘘だが、「日本軍の性奴隷」というデマが米議会をはじめ世界中に広がった最大の責任は、NYTにある。その印象操作を反省して、朝日のように「大西の記事を撤回します」という訂正記事を出すのが世界の一流紙の矜持だと思うのだが、どうだろうか。

池田

preload imagepreload image