ヨーロッパ左翼思想の到達点 - 『21世紀の資本』

池田 信夫
トマ・ピケティ
みすず書房
★★★★★



ピケティの訳本が、日本でも発売された。728ページで5940円で、数式と膨大な統計データが並び、あまり一般向けの本とはいえないが、世界各国でベストセラーになり、日本でもアマゾンのベストセラー2位で上昇中だ。読む価値のある本だが、批判も多い。

本書の中心となる「資本主義の根本的矛盾」r>gは、理論的にはさほど根本的ではない。現代の標準的な成長理論では、資本収益率rが一時的には成長率gより高くても、収穫逓減でgに近づき、長期的には動的に効率的な黄金律r=gが成立すると考えられているからだ。

ピケティも理論的には黄金律の可能性を認めているが、その成立する資本/所得比率βを10~15と計算している。これだと今の先進国の2倍以上も資本が蓄積されることになるが、Acemoglu-Robinsonは、ピケティのいうように極端に資本集約的な世界は動的に効率的とはいえないと指摘している。

もっと根本的な問題は、ピケティがマルクスと同じく制度に依存しない「資本主義の一般法則」を定式化していることだ。実際には彼の詳細に検討しているデータは欧米に限られており、日本にはほとんど当てはまらない。

日本では彼のいうように資本蓄積が進んで上位1%の所得が激増するという上への格差はみられず、正社員と非正社員の下への格差が拡大している。それよりはるかに大きいのは、公的年金のゆがみによる世代間格差である。

本書でおもしろいのは、評判の悪い「グローバルな資本課税」だと思う。これはピケティも「有用なユートピア」とのべているように現実には不可能だが、ITや金融工学によって節税技術が発達すると、グローバル企業や最富裕層がタックスヘイブンに資産逃避し、可処分所得の不平等は拡大する。

これに対してピケティが資本課税を提唱する根拠は結果の平等ではなく、本書の冒頭に掲げている人権宣言である。フランス革命におけるegaliteとは、ひとしく理性をもって生まれてくる人間には同じ権利があるという天賦人権論であり、そういう抽象的な人権の概念を否定する英米の保守主義とは異なる。

つまりヨーロッパの左翼は、英米の「保守革命」の依拠するバーク的な自由主義に対して、ルソー的な人権思想を根拠にして「大きな政府」を提唱しているのだ。これはいまだに「弱者救済」の少女趣味で政治を語る日本の左翼よりはるかにレベルの高い、21世紀の左翼思想の到達点ともいえよう。

訳本は字が細かく詰まっていて読みにくく、気持ち悪いタメグチが目ざわりだが、ピケティを理解していない訳者の解説がないのは評価できる。通読は困難だと思うので、まず『日本人のためのピケティ入門』を読むことをおすすめしたい。