年末に福田恆存氏の「当用憲法論」を引用したブログを書き、続いて元日に「八百万の神に祈る気持ち」を書いたことから、再び福田氏が半世紀以上前に天皇制について論じた「象徴を論ず」(文芸春秋・昭和34年5月号)を想い出し、本棚から取り出してみた。
当時、皇太子(現天皇)が平民出身の美智子様(現皇后)と結婚したことかどから、一般国民との距離が近くなり、大衆天皇制が定着、戦前のような神権的な「絶対天皇制」は二度と起こらないだろうといわれていた。これに対して、福田氏はこう書いている。
<私はそうは思わない。二度と起こらぬどころか、天皇は一度も人間になどなっていない。政治的大権とは全く別のところで、国民感情のうちでは天皇は依然として神である>
保守思想家の重鎮たる福田恆存の面目躍如たる文章であり、「保守反動の危険な思想家」とリベラル左派が批判するところだ。だが、そんな浅薄な批判を許さない論考が福田氏の真骨頂であり、それは次の展開に表れている。
<(「国民感情にとって今も神だ」という表現は)先に私が戦前も国民は天皇を神とは思っていなかつたといつた言葉と矛盾するだろうか。矛盾はしない>
なぜか。
<(日本人の神は西洋人とは異なり)絶対的な唯一神を意味しない。さういふ抽象性はないのだ。それはもっと具体的なものであり、具体的なものについての比喩なのである。神とはそもそも最初から「神のごときもの」なのであるから、日本人は人間が神になることを少しも矛盾とは思っていないのだ。神は私たち人間から隔絶されたものではなく、人間を拒絶し裁くものでもなく、私たち人間がそれに自分を感情移入できるもの、あへて言へばそのためのものだったのである>
これは私の実感ともピタリと合う。
大山や大樹、大きな岩に神として感情移入し、それら八百万の神に祈る日本人にとって、天皇もそうした神なのである。あるいは人間の姿をした神として八百万の神を統一的に体現しているとも言える。だから、日本人は天皇を人間だとも思っている。そう思いながら、神だとも感じている(感情移入している)。大樹を大きな木の一つだと知りながら、神を感じるように。
幕末以来、そうした国民の感情移入に便乗する形で薩長勢力が天皇を利用しようと神格化を強め、戦前は軍部が統帥権の独立に利用した。それがいけなかった。
旧憲法で「元首」だった天皇を新憲法で「象徴」としたのは、そうした絶対君主として悪用されることの危険を防止する狙いがあったのだろう。「象徴」
の意味があいまいな分、「神のごときもの」の感じがあり、それでいて戦前のように絶対君主として神格化し、政治や軍事に利用される危険が少ない。そう判断して、リベラル・左派を含め戦後の憲法で天皇を「象徴」としたことを評価する声は多い。
だが、福田氏は「象徴」はあいまいな表現で良くない、ごまかしだと否定する。
<「象徴」よりも「元首」の方がよいに決まっている。……「象徴」といふものはない。「元首」なら存在する。>
<「元首」というのは政治上の性格、機能を評するものだ。国政上の1つの機関、1つの位置を表すものだ>
福田氏は天皇機関説を唱えているのだと言えよう。「戦後の天皇は政治にかかわらない。『国事』の主宰者だという」という予想される反論に、福田氏は「国事という言葉が象徴という言葉を造るためのごまかしにすぎない」と批判する。
天皇は戦前も戦後も国事に携わってきたのであり、戦前もすべて内閣の助言を受けつつ国事、政治に関わってきた。統帥権の独立を除けば、天皇の国事は「準政治」として戦前も戦後も基本的に同じである、と福田氏は指摘する。
それでいて戦前、天皇は「元首」だった。しかし、戦後の「象徴」はどうか。
<天皇は人間になったという。それなら、一人の人間が多くの人間の『象徴」になるということがどうして起こりうるのか。……天皇を「象徴」と規定することと、天皇の「人間宣言」とは矛盾する>
<(新憲法によって)天皇の神格化ではなく、その単なる非人間化が起こりつつあるのだ>
ただし、福田氏は改憲して天皇を「元首」に戻せ、と言っているのでもない。「象徴」というあいまいな言葉で終わらせず、私たちが天皇をどう思っているか、どういうふうに神と思っていないか、その辺を明らかにする努力をもっとすべきだ、と書いている。
その努力は我々日本人の神の意識、信仰の姿を考えるうえでも貴重だ。だが、福田氏の「象徴を論ず」が書かれて50年以上経つが、その辺の議論が深まったとは言いがたい。私自身、「象徴」でいいのか、「元首」でもないとすれば憲法上天皇をどう規定したらいいのか、結論は出ていない。天皇と日本人の神の意識について、もっと考えてゆく必要があると思っているのは、私ばかりではあるまい。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年1月5日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。