コモディタイズした兵器で戦争が民営化される

池田 信夫

きのうの記事におもしろいコメントがあった。


これは重要な論点である。核兵器は超大国が独占したが、普通の兵器はコモディタイズしたので、21世紀の戦争は国家と国家の正規軍の戦いではなく、テロリストと国家のゲリラ戦になるだろう。しかもアルカイダのように資金力があると重火器も入手できるので、20世紀後半以降の長い平和の時期は終わるかも知れない。

こういう非対称戦争の最初は日中戦争だった、と丸山眞男は指摘している(「憲法第9条をめぐる若干の考察」)。正規軍の戦力では日本軍が圧倒的に優勢だったので、参謀本部は国民党軍はすぐ鎮圧できると楽観していた。しかし彼らはゲリラ化し、便衣兵として民間人にまぎれて戦ったため、日本軍は「点と線」しか制圧できなかった。

このパターンは第2次大戦におけるヨーロッパのレジスタンスや、戦後のアルジェリア、キューバなどの植民地解放戦争でも繰り返され、最大の悲劇がベトナム戦争だった。これはソ連の支援を受けた北ベトナムとの戦争だったが、彼らは正規軍を使わず、南ベトナムで「ベトコン」のゲリラ戦で戦った。米軍が北ベトナムを地上軍で制圧すれば短期間で戦争は終わったはずだが、それは「侵略」にあたるので(補給路を断つ)北爆しかできなかった。

その後も世界で起こっている戦争のほとんどは、宣戦布告をして行なわれる戦争ではなく、ボスニア=ヘルツェゴビナやルワンダやソマリアなどの民族紛争である。本書は、このような戦争の民営化の実態を世界各国のデータで明らかにしている。

兵器市場はアメリカの独占が崩れて「競争的」になり、世界の大企業が公然と兵器の製造に乗り出した。兵士も民間委託の「傭兵」が増えている。「死の商人」にとっては兵器市場が拡大することが望ましいので、民族紛争は絶えない。

ここでも主権国家による戦争の独占が崩れ、資本主義が戦争を飲み込んでいるのだ。これは著者もいうようにウェストファリア条約以前の中世への逆行だが、それ以上のリスクを含んでいる。ゲリラが核兵器を入手したとき、核戦争も民営化されるかもしれない。