イスラム国人質事件と日本の左翼の衰退

矢澤 豊

今月19日、日本人2名がイスラム国勢力に誘拐され身代金2億ドルを請求された事件が発生。一方的に指定された72時間の期限が迫っています。事件解決に奔走している関係者の尽力を思うと、絶望的な状況とはいえ彼らの努力が報われて良い結果をもたらすことを祈らずにいられません。


それにしても今回の事件をうけての日本のいわゆる左翼系の方々の言動にはあきれさせられました。

いろいろな場で俎上にあがっているのでいまさらではありますが、山本太郎参議院議員による安倍首相あての「2億ドルの支援を中止し、人質を供出してください。」というツイッター上の主張はこの最たるものでしょう。

4年越しのシリア内戦。「アラブの春」以降ここ5年間にわたるチュニジアからアラビア半島に至るアラブ各国での政情不安定。去年のイスラエルによるガザ地区への侵攻。そしてイスラム国勢力によるイラク北方地方における少数民族クルド人、とくにヤズィーディー族への迫害、女子暴行そして虐殺。中東情勢は混乱とそれに伴う人道的被害が甚だしい状況にあります。すでに世界中の慈善団体とともに少なくない日本のNGOも現地で救済活動に当たっていますが、今回の安倍首相の中東訪問に合わせた形で、日本が国としてこれらの国々の人々の生活の安定と難民問題にたいして、できる限りの支援を行うと表明したことは日本人として誇るべきことでしょう。

これらの支援努力を、テロ勢力の脅迫によって撤回することを要求するということは、中東の混乱と悲劇を半永久化することによってこれに乗じようとするテロ勢力に加担することになると、山本議員は気がついていないのでしょうか。

今日になって今度は元内閣官房副長官補という肩書きを持つ柳澤協二という方が、安倍首相の辞任と引き換えに人質の解放を要求するという提案をしたと聞き及びました。

私は決して安倍首相の盲目的支持者ではないですが、安倍首相はいやしくも日本の民主主義のプロセスを経て、内閣総理大臣の責務を負っているのです。これをテロに脅迫されたからといって「はいそうですか」と辞任させるというのは、日本の民主主義をないがしろにすることになるということを柳澤氏は理解しているのでしょうか。柳澤氏は東大出身の元防衛官僚だったというのですから、日本のエリートの見識または矜持というものも同氏においては地に落ちたというべきでしょう。

余談ですが、今回の柳澤氏の言動で思い出したことがあります。2007年チリの首都サンチアゴで開催された第17回イベロ・アメリカ首脳会議(スペイン・ ポルトガルと、その両国の旧植民地であるラテンアメリカ諸国が参加して開催されている国際会議)の席上、ベネズエラのチャベス大統領(当時)がスペインの元首相アスナール氏を「ファシスト」と非難したことがありました。この「ハプニング」はスペイン国王フアン・カルロス1世(当時)が、チャベス氏に「おまえ、黙れ!(Tu, por que no te callas)」と言ったことのほうが有名になってしまいましたが、私の印象に残っていたのは、政治上はアスナール氏の政敵であった現職(当時)のサパテーロ首相が、「スペイン国民によって選ばれたアスナール氏に敬意を表してほしい。」とチャベス大統領を諭していたことです。信条をもつ人の言動は自ずから異なるということでしょうか。

幸いに山本議員や柳澤氏の言動を支持する人は少数派のようですが、こうした主張に賛同する人々の言動を散見すると、日本の左翼系の方々の衰退というものを感じずにはいられません。学生運動が盛り上がっていた私の父母の世代では、その主張するところの是非はともかく、左翼系の人たちのほうが知的で国際センスがあったように聞き及んでいました。しかし最近の左翼系のみなさんは、なんでもかんでも「戦争反対」といったような絶対的なお題目を唱え、現実世界の複雑な問題から目を背け、反対意見との議論を避け、自分たちさえ「いい人」であればことたりるような主張をくりかえす印象があります。その末法思想を彷彿とさせる独善的傾向と、一向一揆のような行動パターン、偏狭的世界観、そして実際にデモ活動などに集られる方々の姿を拝見すると、日本の左翼は日本経済よりひと足もふた足も先に高齢化社会の宿痾に陥ったと言わざるを得ません。

「現実的な理想家」を欠く日本の左翼の現状は、日本の政治の将来とその健全性において、大きな不安材料だといえるでしょう。

最後に日本の中東支援に関して雑感。今回、安倍首相が支援の表明の場をエジプトとしたことは、賢明だったと思います。国際政治の舞台では、石油原産国の筆頭としてのサウジアラビアや湾岸諸国、またパレスティナ問題がくすぶり続けるイスラエルや、内乱状態が収まらないリビヤ、アルカイダの新たな拠点化がすすむイェメンなどが注目を集めますが、エジプトは地理的にも、また人口の面においてもアラブ世界のヘソといえます。またまがりなりにも国内情勢が鎮静化に向かっており、日本が「できる範囲」での支援が比較的に効果を上げやすい場所でしょう。

願わくば、アメリカをはじめとした欧米各国がイラク・アフガニスタンでおかした過ちの轍をふまず、あくまでもアラブ人をはじめとした中東の人々を復興の主役として、彼らの自助努力をサポートする形で支援の実効をあげてほしいと思います。

このイラク・アフガニスタンにおける西側諸国の失敗ということに関しては、イギリスの国会議員ローリィ・スチュアート氏の「アフガニスタンでの戦争を終える時」というTED講演が示唆に富んでいましたので、紹介しておきます。


スチュアート氏は元外交官ですが、東ティモール、コソボ、イラクと世界各地のフラッシュポイントで勤務。その合間にインド、パキスタン、イラン、アフガニスタンを徒歩旅行し、その経験を綴った紀行本がベストセラーに。その後アフガニスタンでNGO活動をしたり、ハーヴァード大で教鞭をとっていましたが、2010年から保守党議員として政界入りしました。保守党内では非主流派ですが、その経歴からも注目される存在ですし、英エコノミスト紙の編集部に強烈なサポーターがいるようです。去年の5月からは英国会の軍事委員会議長を務めています。私が個人的に継続チェックしている人物です。