武装した2人のイスラム過激派テロリストが1月7日、パリの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社を襲撃し、自動小銃を乱射し、編集長を含む10人のジャーナリストと、2人の警察官を殺害するというテロ事件が発生した。その直後、別の1人のテロリストがユダヤ系スーパーマーケットを襲撃し、4人のユダヤ人を殺害した。この2つのテロ事件はフランスだけではなく、世界に大きな衝撃を投じた。そして同月11日には反テロ国際連帯大行進がパリを中心に挙行され、多くのパリ市民が参加し、「Nous sommes tous Chalies」(私たちは皆、シャルリー」、 「Je suis Charlie」(私はシャルリー)と書かれた抗議プラカードを掲げて、行進した。
あのテロ事件からまもなく2カ月目を迎えるが、事件の記憶はまだ生々しい。反テロに対する国民の連帯感は依然、消滅していない。同国の国民スポーツ、サッカー界でも選手たちがトリコに「私はシャルリー」と書かれた腕腕章を付け、反テロの意思表示をしてきたが、トゥールーズFCのGKアリ・アーマダ選手やヴァランシエンヌFCの3人の選手たちが「私はシャルリー」という文字をトリコから消したことから、同国社会でちょっとした議論を呼んでいる。トゥールーズFC会長は後日、チームの選手たちの行為に対して謝罪を表明している。オーストリア日刊紙プレッセ21日付がスポーツ欄で大きく報じた。以下、同紙の記事の概要を紹介する。
ナショナルチームには現在、4人のイスラム教徒の選手が活躍している。その中の1人でチームのエース、べンゼマ選手(アルジェリア系移民の2世)が試合前の国歌を歌わなかった、といった批判を受けたことがある。同選手は「自分がゴールすればフランス人であり、失敗するとアラブ人と批判される」と述べている。ドイツのヨハヒム・ガウク大統領は、「イスラム教はドイツ社会の一部だ」と述べたが、フランスでは、「イスラム教はフランス社会の一部か」と問いかける声が聞かれ出した。
同国のスポーツ・ジャーナリストによると、「フランスのサッカー選手の80%はバンリュー(Banlieue)と呼ばれる大都市郊外の貧しい移民が多く住む公営住宅地域の出身者だ」という。例えば、FCバイエルン・ミュンヘンのMFのフランク・リベリー選手、リアル・マドリードのFWカリム・ベンゼマ選手、1998年のサッカー・ワールドカップ(W杯)優勝の英雄ジュディーヌ・ジダンらはいずれも大都市の貧困地域出身者だ。そしてベンゼマ選手とジダンはアルジェリア系移民の出身だ。2010年、フランスのナショナル・チームはアルジェリアと友好試合を国内で行ったが、多くのアルジェリア系ファンからやじられた。同国のスポーツ・メディアは「フランスのナショナル・チームは国内で試合したが、アウェイで試合しているようだった」とシニカルに書いたという。
フランスは1998年の地元開催W杯で初優勝したが、その時のナショナル・チームにはジダンなどアラブ系出身の選手が多くいたことから、「ナショナル・チームはフランスの移民統合政策の成功例だ」と評価する声があったが、現実はそうともいえないのだ。
イスラム教徒の選手が着替え室で祈祷用絨毯を敷くことを要求したり、ハラール(イスラム法と基づき処理された食物など)の料理を求めるなど、イスラム教徒の選手と他の選手との間でさまざまな不協和音が聞かれるという。
フランスの少数民族問題と言えば、ユダヤ人とアルジェリア人問題だ。特に、アルジェリア人問題は歴史的に複雑なテーマだ。例えば、フランス軍に所属して戦争に参加したアルジェリア人はフランス兵と受け取られず、民族的差別を受けてきた。また、多くのアルジェリア人がフランス軍によって虐殺され、その遺体は川に捨てられ、川の水は真っ赤になったといわれる。そのアルジェリアの移民の2世、3世が活躍するフランスのサッカー界は移民問題の現状を色濃く反映させている、といわれる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年2月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。