日本人はあの時、祈ったはずだ --- 長谷川 良

アゴラ

東日本大震災が発生して11日で4年目となった。日本メディアの電子版を見ていると、犠牲者に祈る国民の姿が報じられていた。その前日の10日は、東京大空襲70年目だったこともあって、ここでも犠牲者に祈る遺族関係者の写真が掲載されていた。



▲オーストリア側の歓迎を受ける福島の青年たちと挨拶する岩谷滋雄大使=当時(2011年8月3日、ウィーン外務省内で撮影)

祈る人々の姿を見る度に、人は悲しい出来事、考えられない試練に直面すると頭を下げ、懸命に祈るものだと分かる。幸福すぎると、その幸福をもたらした人々への感謝の祈りを忘れやすいが、苦しい時には有神論者、無神論者、不可知論者の区別はなく、祈る。その意味で、よく祈る人は幸せより、悲しみを多く体験してきた人かもしれない。

具体的に、神に祈る人、犠牲となった家族の慰霊を求めて祈る人、ただ、誰に向かってというのではなく、祈らざるを得ない人、さまざまな祈りがあるだろう。祈りの世界だけは宗派間の対立、世界観の相違は余り意味がない。“人間は考える葦”といったフランスの思想家に倣っていうならば、“人間は祈る存在”ではないだろうか。祈りは決して単なる宗教的行為ではなく、もっと人間の存在そのものと繋がった業だろう。祈っている人の姿ほど心を動かされる情景はない。

4年前、数千キロ離れた欧州のアルプスの小国で東日本大震災を知った。TVから流れる映像から津波の脅威を感じた。スマトラ島沖地震の時もそうだったが、当方は当時、何が起きたのか直ぐには理解できなかった。レポーターが「マグニチュード9の大地震です」と語った時、大きな被害をもたらした関東大震災でもマグニチュード8を超えなかったはずだから、考えられないほどの大きな地震が日本を襲ったのだというだけが分かってきた。

大震災後、世界から日本国民への励ましの声と支援が届けられた。オーストリアのロータリー・クラブの招きを受け、大震災で被災した福島県南相馬市から21人の青年たち(15歳から18歳)がウィーン外務省で歓迎された。世界各地で励ましを受けてきた日本は大震災4年目を迎え、課題はまだ山積しているが、復興は着実に進められている。

日本国民は大震災の時、懸命に祈った。行方不明の家族や関係者のため、そして民族の未来を考えながら祈ったはずだ。全てを失った国民は小さな子供を抱えながら祈らざるを得なかったはずだ。

なぜ、神は唯一神教を砂漠の地で育てていったのか。砂漠は人間が生きていくうえで過酷な環境だ。希望は地にはない。だから、イスラエル民族はその頭を天に向けて祈った。イスラエル民族はエジプトのパロ宮廷ではなく、砂漠で民族を率いる神に出会った。だから。“砂漠の宗教”と言われるのだ。

東日本大震災に直面し、多くの国民は砂漠にいるかのような心情圏に陥ったのではないか。数時間前まで、「これは確かだ」と信じてきたものが、実は決して確かではなく、瞬間に消え失せていくものだったことを日本国民は体験し、目撃したはずだ。そのような国民が祈らないということがあるだろうか。

日本国民の復興は決して単なる一被災国の復興を意味しない。苦労する他の民族、国家の復興を支えることにもなるはずだ。戦後の日本の経済躍進がアジアの近隣諸国に希望を与えたようにだ。アルプスの小国から、懐かしい日本の復興を心より祈っている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年3月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。