明確な意思決定なしで戦争になだれこんだ日本と、ヒトラーが侵略の計画をもって戦争を起こしたドイツは大きく違うが、共通点もある。その敵がはっきりしないことだ。日本の場合は、治安維持法で「国体を変革」することが犯罪(最高刑は死刑)とされたが、国体とは何かという定義はなかった。
ドイツの場合はユダヤ人が敵とされたと思いがちだが、実は公式にユダヤ人を絶滅しろという命令は出ておらず、そういう法律も存在しない。当初ヒトラーは「共産主義者と闘う」ことを政策に掲げ、初期の強制収容所に連行されたのも共産党員だった。そこにユダヤ人を含めるようになったのはSS(親衛隊)で、それを多くの民衆が支持したが、ユダヤ人とは何かの定義もなかった。
つまりユダヤ人は「国体」のような無定義語であり、それゆえに無限の広がりをもったのだ。ヒトラーは暴力で威嚇して民衆を従わせたのではなく、多くの人々が自発的にユダヤ人の犯罪を密告した。少なくとも戦争の始まった1939年ごろまでは、圧倒的多数の民衆がヒトラーを支持したのだ。
もう一つの共通点は、法の支配の失われた行政国家だったことだ。日本の場合は、治安維持法の規定が曖昧だったために、多くの「非国民」が根拠不明の容疑で投獄されたが、ドイツの場合は全権委任法でヒトラーが立法・行政・司法権力を独占し、議会のチェックを受けないで官庁や警察が「指令」を乱発した。
面倒な法律なしで迅速に「有害な人物」を取り締まる警察を、民衆は歓迎した。当時のドイツは大恐慌とハイパーインフレで疲弊し、犯罪を恐れていたので、「ゼロリスク」を実現するナチは民衆の味方だった。かつて国賊を摘発する特高警察を賞賛した朝日新聞が、定義不明の「放射能の恐怖」を理由にして「有害な東電」に法を超えた無限責任を負わせるのと同じだ。
しかし法をいったん踏み越えると、行政の裁量は際限なく拡大し、かつてナチに拍手していた人が、その犠牲になる。ニーメラーの有名な言葉のように。
ナチが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった