前回のブログで紹介した曽野綾子氏の「新潮45」4月号に載ったエッセイには、海外のマスコミを批判したくだりがある。
ロイター電に始まってウォール・ストリート・ジャーナル、インドのNDTV、イギリスのデイリー・メイル、ニューヨーク・タイムズ、ストレーツ・タイムズ(シンガポール)ほかが、私が「安倍総理のアドバイザー」で「アパルトヘイトを称賛した」という記事を流したのだから、私はびっくりした
私が総理のアドバイザーであったことは、現在にも過去にもないと言うと、彼らはすぐに卑怯にも「元・アドバイザー」になおした。私は元もアドバイザーだったことはない
事実をチェックせず、他紙の書いた「アドバイザー」という肩書きを鵜呑みにし、そのまま垂れ流すなどは言語道断。曽野さんが憤るのは当然のことだ。
荻上チキ氏による曽野綾子氏へのインタビューによると、マスコミは2013年1月に安倍政権の教育再生実行会議委員をしていたことを「アドバイザー」の根拠にしているようだ。
しかし、安倍政権の、というより、一般に内閣の様々な諮問会議や審議会には多くの識者が委員として参加し、様々な意見を言うのは昔からあることだ。委員に任命された人が任命した大臣と異なる意見を述べることだってある。曽野さんはそうした多くの委員の一人だったにすぎない。
それを安倍総理の個人的なアドバイザーとすることは明らかに無理がある。少し調べれば、そんなことはわかるはずだ。ここにはリベラル系を中心とした海外マスコミ、そして、それに無定見に乗っかる国内マスコミの「悪意」「底意地の悪さ」が感じられる。
安倍総理はアパルトヘイトを称賛するような作家をアドバイザーにするような「危ない思想」を持った総理なのだ、という印象操作である。曽野綾子氏が「アパルトヘイトを称賛している」とすることがすでに曲解と誇張に満ちている。そこから、さらに飛んで、そういう人のアドバイスを重視している安倍政権はかなり異常な政権という風に話を運ぶことで、とんでもない印象操作=虚構が形成されるのだ。
曽野綾子→人種隔離主義者→安倍首相のアドバイザー→危険な政治家、安倍首相。まさに「風が吹けば桶屋がもうかる」式の粗雑で危険な論旨展開である。
安倍政権の政治姿勢が嫌いで、容認できないというなら、それはそれでいい。だが、そのためには言葉の揚げ足取りをしたり、憶測や誇張をしたりしても構わない、ということであれば、事実を基礎とする新聞、テレビの役割を放棄したに等しい。記者として、マスコミとして失格だろう。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月31日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。