「次世代の党」のHPに「税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」という参議院議員・松沢成文氏のコメントと共に、「国立大学(86大学)における卒業式・入学式の国旗の掲揚及び国家の斉唱状況の資料」等が掲載されています。
之は「学習指導要領がある中学、高校ではしっかりと実施されている」のに対し「国立大での式典、国旗掲揚・国歌斉唱は必須だと思う?」というトピックですが、例えばBLOGOSのアンケート結果では6割超が必須だと思っているようです。
私としては大学生であれ大学院生であれ、夫々の大人が大人として自立・独立し皆主体的に判断して行くということですから、ある意味いい大人に対して「ああしなさい」「こうしなさい」と言うことでは基本すべきでないと思っています。
寧ろ国立大云々といった程度の話に矮小化するのでなく、やはりそうしたことを自発的にやるような国民にして行こうというのであれば、先ず家庭教育から幼稚園・小学校における教育から根本的には変えねばなりません。
そしてその変革を具現化しようと思ったらば、戦後教育を牛耳る中で此の日本に百害を齎してきた「日本教職員組合(日教組)」を破壊することでしか為し得ないのではないかと思います。
第二次大戦後、進駐軍司令官として日本にやってきたダグラス・マッカーサーは武士道に根差した日本人の卓越した精神力を根本的に破壊しようと計画し、戦後教育を通じてそれは着実に実行しました。それが今日の日本人の精神的・道徳的退廃を招いた、といっても過言ではないでしょう。
とにかく日教組を打っ壊し、受験勉強だけを主体とした教育から道徳教育を中心に据えた教育へと制度転換を図るのです。国歌斉唱など人に強いられてやるものではなく、然もいい大人に強いてみたところで無意味ではないかと思います。
日本に独特の大変な美徳であると思われる武士道を根幹に据えた伝統精神を教えて行く中で、国旗掲揚あるいは国歌斉唱を愛国心の表象として自発的に行うようになるのではないでしょうか。
但し、このように戦後日本の教育に大問題が内包されているとしても、多くの現代人には昔の日本人の良きDNAが流れているはずです。オリンピックで日本が金メダルを獲ったと言って、国歌斉唱時には皆が起立し誇り高く「君が代」を歌っているのも現実です。
此の国土に日本人として生まれ四季折々の美味しい食べ物と景観的美しさの中で育っていれば、日教組がどれだけの弊害を教え込もうが、そうした舞台にあって日本人はきちっとした対応をするのではないかと思います。
嘗て天皇陛下も、「オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には,強制された姿はありません。国旗,国歌については,国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます」と述べておられます。
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