本日午前中、日経新聞にも「地方選投票率、軒並み過去最低 市議選初の50%割れ」という記事がありましたが、政治無関心・選挙無関心という状況が相も変わらず続いています。
当ブログでも私は、「一票を行使しないことはある意味自らが民主主義を否定することに繋がる」等々と各選挙のタイミングで指摘し続けてはおりますが、残念ながらその思い届かず毎回の選挙にあって投票率は低下する一方です。
例えば衆院選の投票率で言うと6年前の夏、民主党が大勝利を収め政権交代を実現した時の69.28%を境に段々と下がっているわけですが、之は国民が自民党以外の政党に最早この国を任せようとは思わなくなったということの一つの現れではないかと思います。
日本の近代史上稀に見る低レベルで総理になどすべきではない人物が三代に亘って続く中、大変な後遺症を残した政権運営を国民はその時その時で見、段々と民主党を見限りある種の拒否反応を示す人が此の間たくさん誕生してしまいました。
此の民主党政権の3年3カ月もの間、悪くなることはあっても良くなることはなかったわけで、09年夏に「一度民主党に政権を担わせて見れば良い」との考えで投票した人も含め、多くの人の頭に未だあの非常に御粗末な状況がこびり付いているのではないかという印象を私は持っています。
過去の成功体験に胡坐をかいている政治行政、換言すれば戦後60年以上に亘る自民党長期政権下において築き上げられた政官財癒着の社会経済システムを今後も続けて行くというのでは駄目である、と一般大衆が直感的に悟った状況の中で自民党は一度国民にノーを突きつけられ政権の座を失いました。
これから後、凡そまた現下の「自民一強」で数の力によって余りにも酷いと思われるような事を勝手にやり出すとか、あるいは族議員が跳梁跋扈し既得権益を是が非でも守り抜こうとする嘗ての自民党に戻るといったことがあるとすれば、「このままではダメだ!」という意識が再び一般大衆に働いてくるのではないかと思います。
従って今、「自民に代わる政党なし」「自民は下野する必要なし」という判断が働いていると思われる中で、私は投票率というのは上がってこないのではないかと思います。逆にそうした局面に差し掛かれば、やいやい言わずして国民皆が投票所に向かうのではないかと見ています。
安岡正篤先生もその著『政治と改革』(明徳出版社)の中で、「質は量に伴うものであって、民衆政治はどうしても少数政治に勝る」というアリストートル(アリストテレス)の考え方を記しておられます。
一般大衆は無知であるとか判断力が欠落しているとも思いがちですが、一般大衆を総体として見れば正にアリストテレスが述べているような側面があり、国民の大数としての選択の正しさというのは結構現れてくるものでしょう。
取り分け今日、大衆をして「一億総白痴化」への道を歩ませるマスメディア環境に浸るとか、一部新聞でオピニオンリーダーが形成されるといった時代では最早ないのです。多種多様な情報がネットで溢れ返り自分自身の主体性というものはある程度持ちながら、自分自身の意見を構築出来るような環境が生まれてきているわけですから、そういう意味でも上記した一般大衆が選挙で下す判断は意外と正しいということになるのではないかと思っています。
BLOG:北尾吉孝日記
Twitter:北尾吉孝 (@yoshitaka_kitao)
facebook:北尾吉孝(SBIホールディングス)