17日水曜日、アメリカ、サウスキャロライナ州のチャールストンの教会で、平日の夜の聖書勉強会に集まっていたグループに男が銃を乱射。牧師で州上院議員でもあったクレメンタ・ピンクニー氏(41)を含む9人が死亡するという痛ましい事件が起きました。事件の容疑者、 ディラン・ルーフ(21)は翌18日に逃亡先のノースキャロライナで逮捕されています。
事件の現場となったエマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会は、黒人の人権運動の濫觴として19世紀初頭からの歴史を誇り、地域の黒人コミュニティーの中心でもありました。ルーフ容疑者は犯行の折、「黒人たちがアメリカをのっとろうとしている」などと叫んだと言われており、人種差別を動機としたヘイトクライム(憎悪犯罪)とみられています。
事件の発生を受けてオバマ大統領も18日に声明を出し、あらためて銃規制の必要性を訴えましたが、アメリカのメディアには「なんの結果もうまないだろう」というあきらめムードが蔓延しています。
主な事件だけでも、ヴァージニア州で起きたヴァージニア工科大学銃乱射事件(2007年4月16日:容疑者1名を含む15名が死亡)、コロラド州オーロラの映画館で起こったオーロラ銃乱射事件(2012年7月20日:死亡12名、負傷者58名)、コネチカット州で起きたサンディ・フック小学校銃乱射事件(2012年12月14日:教員5名、容疑者1名を含む学生28名が死亡)、 ワシントン海軍工廠銃撃事件(2013年9月16日:容疑者1名を含む13名死亡、負傷者14名)など、オバマ大統領は在任中14回も似たような銃乱射事件を経験しており、そのたびに銃規制の必要性を訴えてきましたが、法改正の試みはNRA(National Rifle Association: 全米ライフル協会)などのロビー・グループの議会工作により、ことごとく無に帰してきた経緯があります。
一般的にはアメリカの不毛な銃規制の失敗を、NRAのグロテスクなまでに肥大した議会ロビー力に帰する議論が大勢的ですが、NRAがそこまでの影響力を集約するに至った背景には、アメリカ国民の銃を所持する権利に対する不条理なまでのこだわりにあります。そしてこうした銃所持権利を主張する人々のよりどころは、その権利がアメリカ憲法によって保証されているということです。
アメリカ憲法の修正第二条には次のようにあります。
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるので、 人民が武器を保有し、携帯する権利は、これを侵してはならない。
アメリカ憲法が制定されたのがイギリスを相手にした独立戦争の直後であったことを考えれば、民兵の存在や、政府権力が市民の武器を押収することの危険性(日本史で言えば秀吉の刀狩り)を重視したことはわかりますが、普通に考えればこの条文が今の時代にはあまりにも不適切であることは一目瞭然でしょう。
しかし1960年、法律学者のスチュアート・ヘイズが、憲法修正第2条は個人の銃所有権を民兵との関連を条件としないで保証しているという説を唱え、これが現在でも銃所有権主張者たちの議論の基盤をなしているのです。
ようするに法学者による「解釈改憲」がアメリカ政府を呪縛し、結果として立法府たる議会の健全な機能を妨げ、現実と政策の乖離を推し進めているのです。
安全保障という政策議論を、「護憲」という議論におきかえている日本の一部の人々の論法と、アメリカの「銃中毒者」たちの論法にあまり差異がないように感じるのは私だけでしょうか。また「改憲」という政治家の義務を、学者の権威を利用した「解釈改憲」という責任逃れによって回避することに終始するもう一方の論理も同じ穴のムジナと言えましょう。
あまり英国びいきと思われるのも不本意なのですが、最後にイギリス19世紀の政治家グラッドストーンを引用させていただきます。
「イギリスにおける真の立法の基本は、完璧なる理想を求めることではない。我々は実現可能、かつ現実的政策を求めるものである。我々はユートピアのみで実現しうる楽天的な理想主義の要求するところにより、イギリス国民により大きな幸福を約束する道を踏みはずすには、イギリス人としての常識を持ちすぎている。」1884年2月28日、選挙法改正法案に関する議会演説から。