トマ・ピケティとデジタル・ディバイド

先日発表された今年上期の「日経ヒット商品番付」では、東の横綱に「インバウンド旋風」 西の横綱に「北陸新幹線」と「観光分野の勢いが目立った」ようですが、その中で東の大関として「ピケティ現象」が選ばれました。


13年8月フランスで世に出たトマ・ピケティ著 『Le capital au XXIeme siecle(21世紀の資本)』はその8ヶ月後に英語版『Capital in the Twenty-First Century』が発売され、1%の富裕層を批判した反格差デモ「ウォール街の抗議デモ」が4年前の9月に起こった米国では半年で50万部の大ヒットとなったようです。

日本でも昨年末出版されて以降一種のブーム的様相を呈した此の書は今14万部突破となっているわけですが、その彼による「富める者はさらに富み、資本主義に任せれば格差が開く」という主張それ自体はある意味説得性があるのだろうと思います。

例えば「OECD Forum 2015: Income Inequality in Figures」の「Income distribution and poverty」で「Japan」をクリックして頂ければ一目瞭然ですが、「Top 10% vs bottom 10%」や「Gini Coefficient(ジニ係数)」等からもやはり日本でも格差問題が拡がっていると言わざるを得ないのが現況です。

ピケティの結論というのは、「世界の先進国における所得と資産の格差は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて拡大し、第一次世界大戦から70年代までの間に縮小した。しかし80年代以降、格差が再び拡大している(中略)。先進国の中でも、英米をはじめアングロサクソン諸国における近年の経済格差拡大は顕著だとする」ものです。

之は何も先進諸国の中でだけ生じるような問題でなく、中国を例に見てみても「世界で最も不平等な国の一つ」であるわけで、今年3月IMF(国際通貨基金)が公表した研究論文の指摘を見ても、現在「上位20%の高所得層が総所得の約半分を稼ぎ出す一方、下位20%の低所得層が稼ぐのは全体の5%に満たない」とのことです。

資本主義の帰着点として如何様にもピケティが示した類に行かざるを得ない部分はあるのですが、例えば今年3月日銀の政策委員会審議委員に就任された原田泰氏は、「所得格差の原因として日本または先進国で議論されていることは、高齢化、グローバル化、不況、スーパースター論、教育格差、男女雇用機会均等法格差の6点である」と言われています。

ピケティが主張される累進的な「世界同時資産課税という夢物語」は兎も角として、そうした政策に意味を見出し得るは「上位1%の高所得層が今や国民所得の約2割を稼ぐ」米国のような国であって、日本および他国にあっては個別具体的な論考が必要でありましょう。

但し上記の一つ、教育格差の文脈でも論じられる「デジタルデバイド…digital divide:コンピューターやインターネットを使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる、労働条件や収入の格差」という観点につき私は、その実態を見る限り取り分けより深く考えねばならない問題だと認識しています。

フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグも「すべての人にインターネットを」と主張するように、インターネットはその検索機能を使い非常に広範囲な知能集積に接し得るという意味で正に知の宝庫でありますし、またインターネットを通じて多くの人と繋がり知り合いになって行くといったことも出来るわけで、そういう意味で此のインターネットアクセスは非常に大切であると思います。

此の年初、産経新聞論説委員の長谷川秀行氏は「行き過ぎた格差に対処するうえで肝心なのは、誰もが成功に向けて挑戦できるよう、教育や労働などの環境を整備して後押しすることである。間違えても悪平等を蔓延(まんえん)させてはならない。努力した人が十分に報われないようでは、社会の活力が確実にそがれる」との指摘をされていました。

1年程前のブログ『貧困の連鎖とデジタルデバイド』でも詳述したところでありますが、子供の頃からインターネットに常時接続できる環境に身を置けるか否かが、その人の将来に大きな差を生んで行くことになるわけで、税制での決着が難しい教育的鋭意を要する部分に対して環境整備に取り組んで行くことも非常に大事な視点の一つであると私は思います。

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