「文系オヤジ」を捨てる経営 『選択と捨象』

冨山和彦
朝日新聞出版
★★★★☆



『なぜローカル経済から日本は甦るのか』は去年の日本語の本のベストとして推奨し、著者に「池田さんのおかげでベストセラーになった」と感謝されたが、本書はそのビジネス版である。といっても「いかに社員のやる気を引き出すか」という類の精神論はまったく書いてない。よくも悪くも、ドライな資本主義の原理で企業をどう再生するかという話だ。

特徴的なのは、著者が産業再生機構という部外者の立場で、しかも自力再建がにっちもさっちも行かなくなった段階の企業についての話がほとんどだということだ。こういう目で見ると、普通のサラリーマンが見るのとは別の「日本の会社」の像が浮かび上がってくる。

現場は優秀で技術力もあるのに、会社としてはボロボロになる。その原因は経営がだめだからだ、とよくいわれるが、著者のイメージは違う。そもそも経営者に情報が上がっていないのだ。つぶれるかどうかという瀬戸際になっても、資産査定に必要な数字が出てこない。現場が隠しているわけでもなく、日常的な「貸し借り」の中で曖昧に決めているので、事業のボトムラインが黒字か赤字かもわからない。

だから再生ファンドが資産査定すると膨大な時間がかかり、厳格に査定するとJALは債務超過だった。それでも飛行機が飛んでいるのが、日本の会社のすごいところだ。なぜかといえば「現場主義」が強いので、経営者に全体が見えないからだ。彼らは業務は技術者にまかせ、資金ぐりはメインバンクにまかせ、たまに問題が起こると「足して二で割る」調整能力で生きているので、数字を見てもわからない。

著者は「G型大学とL型大学」の提言で話題を呼んだが、重要なのはこれから日本の雇用の8割以上をになうL型だ。これは中国でもできる定型的な仕事をやっていてはだめで、不要な業務を捨てる「選択と捨象」が求められる。そのとき捨象される人々を納得させるには、経営者が客観的データを把握していないと話にならない。

だからよく誤解されるように「文系学部」がいらないのではなく、数字と論理で判断できない文系オヤジを養成する大学がいらないのだ。むしろ初歩の経済学や法学の知識などは、理系の学部でも必要だ。その意味では、文系オヤジの経営者が優秀な技術者をだめにしている日本企業には、まだ大きな「伸びしろ」がある。