少年Aの手記と日本の戦争責任 --- 脇田 周平

この表題を奇異に思う読者は多いだろう。
 
実は、私にはこの二つの事例のどちらについても、詳細に議論する力はない。また、この小文は、事件に直接関係のない第三者の立場から、同じ第三者である読者を前提に書いているものであることを付け加えておきたい。

さて、私がここで指摘したいのは、この二つの事例を並べて考えることで、読者は二つの相反する側に、つまり少年Aの手記に対しては被害者の側、戦争責任に対しては加害者の側という二つの側に立つことができるのではないかということだ。

私たちは犯罪に対して、加害者と何らかの関係にないかぎり、まず加害者側に立つことはない。元も子もない言い方をすれば、多くの人は、私もふくめて自分を正義の味方で善人だと思っているからだ。さらに言えば、そのように信じて日々を過ごせることがなぜか幸運にも許されているからだ。

また、少年Aの犯罪のような、およそ普通の人間には理解できない残酷な犯罪の場合、彼の側に立つことは、ほとんど心理的にも不可能に近いだろう。多くの論者がAに対して批判的になるのは当然のことだ。

一方、先の戦争における日本人の戦争責任については、私たちは、戦いに敗れた日本人という事情によって、否応なく加害者側に立たされている。また、この戦争責任の特殊なところは、加害者側の(つまり私たちの)多くの不満や反発が比較的自由に発言され共有されていることだ。

これは、国全体が加害者側とされることで、被害者側からの攻撃・非難に対抗できるだけの、十分に大きな言語空間が加害者側に(つまり私たちに)確保できたからだといえばよいだろう。個人の犯罪であれば、加害者側からの発言はほとんどないことが通常だろう。圧倒的に多数の敵意に囲まれて、誰が火中の栗を拾うようなことをするだろうか。出てくるのは、せいぜい、メディアにむりやり引きずり出された親族の決まりきった謝罪の言葉くらいのものだろう。

戦争犯罪に対しては多くの議論があることは、私も承知している。これに関連する某諸国の振る舞いには、私も言いたいことが多々ある。戦争においては加害者も被害者もないという考え方も見方によっては正しいだろう。

だが、歴史のある時期に、私たちの国の人々が、他国の人々に大きな暴力を行使したことは明らかな事実であろう。この事実に関して、私たちは子であり孫として’加害者側の者’であることから逃れることはできないだろう。

何事にもよらず片側だけからの見方では、ことの真相は理解できない。ここに、自分の国の戦争責任という居心地の悪い経験ではあるが、私たちは加害者側に位置するという、まれな経験を積んでいることの意味を見いだせるだろう。加害者側の立場を加えた複合的視点を持つことで初めて、被害者側と加害者側にとっての法的決着とはなにか、ということや、なぜ加害者側は批判されることを承知のうえで、あえて発言しようと試みるのか、あるいは、被害者側の求めつづける誠意ある謝罪とは何であり、そもそもそれは可能なのか、などといった疑問に対して冷静に検討を始めることができるだろう。

少年Aの事例は一つの例でしかない。少年Aのような特異な個人の犯罪と、国家規模の問題を同列に置くことに意味があるのかという疑問は、筆者も持たないわけではない。

だが、議論の主体はいずれにしても私たち個人の上にしかないことを思えば、このような出来事にたいしたとき、反射的、感情的に反応する前に、私たちが経験しているこの加害者側の立場、というある意味稀有な経験を思い返すことは、決して無駄なことではないだろう。

脇田 周平