ご存じの方も多いと思いますが、明治44年の文部省唱歌に「案山子(かかし)」という歌があります。「山田の中の一本足の案山子……」で始まり、最後は「……歩けないのか山田の案山子」で終わるあの歌です。
落語協会会長を務めたこともある三遊亭圓歌(三代目)は、二つ目時代は三遊亭歌奴と呼ばれていました。歌奴が人気を博した創作落語に「授業中」というのがあり、その落語の中で、「山のあなあなあな……」と少々どもる生徒が登場し、笑いをとっていました。こちらも年配の方ならご存じでしょう。
人権上への配慮があり、「案山子」も「授業中」も、今の時代にはなかなか表に出ることが難しいだろうと思います。今でなく当時でも、それを聴いた時、そこには居たたまれない思いをした人も、きっといたに違いありません。公共放送にはなかなか乗せられないとしてもやむを得ないと思います。
でも、それを承知の上であえて言いますと、身体の障害やハンデを、ある程度当たり前のこととして認め合い包み込む、それを前提にしていた社会の目も以前は確かにあったように思います。
今は逆にその自然な包容力や温かさがなくなってしまったがために、それを人為的に配慮や保護をしてあげなければならなくなってしまったのでは、とも思えてきます。配慮などというものを飛び越して、普通に交わっていられる社会こそがむしろ健全だと思うのですが、これは理想論に過ぎるでしょうか。
人から強い差別を受けたり、人権をひどく侵害された経験がない立場からでは、そうした経験のある人の苦しみや思いが分からないということもありますので、軽々しくこうだとは言い切れません。
でも、配慮や保護がまるでルールのようになると、「差別」はかえって見えにくいところに根深く潜り込むような気もします。「善意による配慮でも、結果としては、差別の空気を一層強めることに加担する」という言葉も聞いたことがあります。
「案山子」の歌詞の二番では、「……山では烏がかあかと笑う 耳が無いのか山田の案山子」で終わります。皆さんはどう思われますか。
天野 信夫
無職
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