オバマケアと日本 --- 岡光 序治

『沈みゆく大国アメリカ』(堤未果 著、集英社)を続編とあわせ、読んだ。その読後感をしたためる。

◆オバマケアの結果

2010年3月、オバマ大統領はアメリカ国民全員に保険加入を義務付ける「医療保険制度改革法(the Patient Protection and Affordable Care Act)」通称オバマケアに署名、2013年10月からオバマケア保険の申請手続きが開始された。

この著書は、その後の状況を記述したものと理解している。

それによれば、状況はおおむね次のようである。
・フルタイム従業員50人以上の企業はオバマケアの条件を満たす保険提供義務を負ったが、企業は保険提供を嫌がり、結果、リストラの増大、フルタイムからパートタイム化が進んだ。
・企業保険がない人は政府が設立した保険販売所(Exchange)で保険を買うことになっているが、希望する内容と保険料が見合わない(保険料が高いため、手が出せない)ケース続発。
・メディケイド枠を拡大し、保険が買えない人を受け入れることにしているが、処方薬について患者負担が定額制から40%の定率制に変更され、また、慢性疾患薬が処方薬リストから外されるなど薬剤にかかる患者の負担が増大した。
・メディケアとメディケイドの併用は許されるが、メディケア受給者は、死亡時、資産があれば没収される仕組みとなっている。
・支払制度は全国単一ではない。また、医師は保険会社に対し、膨大な事務手続きと給付をめぐる交渉を余儀なくされ、保険会社に参加しない医師が出始めている。さらに、先端医療を担っている医療機関は、保険のネットワークから外されることが多い。
・財源は、高齢者医療削減と増税21項目、製薬、保険会社及び医療機器メーカーへの増税で賄う、とされたが、保険料および自己負担の増額と個人財産に転嫁されたとしか考えられない結果が生じている。
・喜んでいるのは、製薬会社、保険会社及びその株主だけ。

◆アメリカ建国の精神は、いずこ?

アメリカの現状が、おおむね以上のようであるならば、一体、どうなっているの!という思いを抱かざるを得ない。

“This nation, under God, shall have a new birth of freedom—and that government of people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.”
Abraham Lincoln “The Gettysburg Address” 19 November 1863

人々の自由への戦いは、貧困への自由に成り果てたのだろうか。

人民の、人民による、人民のための政府は、強欲資本主義に乗っ取られ、強欲資本主義の、それによる、それのための政府になっているのだろうか。

この本によれば、大資本は議会に多数のロビイストを送り込み、ロビイストは大資本のためになるように法案を用意し、議員を説得し、成功の暁には元のさやに戻るという。「回転ドアをくぐれ!」というのだそうだ。また、大統領候補などへの多額の政治献金は目を見張る額に達するともいう。

◆日本への教訓

日本には憲法25条があり、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するとされ、国は社会保障などの義務を負っている。

しかし、昨今の財政ひっ迫及び人口構造の変化などにより、社会保障の見直しが迫られ、医療の分野では、保険料の引き上げ、自己負担の増大、給付範囲の見直しなどが検討され、一部実施もされている。

著者は、こうした個人や民間に委ねられる分野について、強欲資本主義はビジネスチャンスと受け止め、入り込んでくるに違いない、油断召されるな!と言っている。

オバマケアの実施から得られる教訓を、いくつか列記しておく。
・保険料の上限、あるいは、平均的な世帯における家計に占める割合などは政府が決めるべき。平均的な勤労世帯において、保険料負担によって家計が破たんするようでは困る。アメリカの場合、民間保険会社に運営が任され、全米50州のうち45州で保険市場の50%以上は1~2の保険会社が独占している。制度の変更に伴う保険が負うべき負担には保険料の引き上げや給付制限などで対応し、会社は赤字にならないようにする。
・薬価の決定権と保険内容の裁量権は政府が保持すべきである。アメリカの場合、薬剤価格や保険での使用範囲の決定はメーカーまかせとなっている。
・支払制度の単一化と政府による決定権の保持。

気になる点が、2点
・高級官僚人事を官邸が行うことにより、高級官僚は官邸の意向をおもんばかりその意を組む方向に傾きやすい。政策決定の公平性と各行政府の政策遂行の責任制を再認識し制度的に明確にすべき。
・総理のもと、経済財政諮問会議という学者と称する一部の人からなる私的諮問機関が政策の基本を決める今の方式の是非を問うべき。衆知を集めることと政策決定とは違う。決定責任を明確にすべき。

岡光 序治
会社経営、元厚生省勤務


編集部より:この記事は「先見創意の会」2015年6月23日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。