「戦争に行きたくない」「殺すのも殺されるのも嫌」といった「徴兵制への懸念」が一部の若者の間で叫ばれています。
「死傷者が出て自衛隊の志願者が減れば徴兵制になる→僕らや子供たちも招集され、海外に派遣されて敵を殺さなければならない」というのはずいぶん飛躍した話です。
後方支援で海外に出て行って自衛官に死傷者が出、志望者が減少したとしても、いきなり数万単位の兵力が失われるわけではありませんから、一足飛びに徴兵制になることはまず考えられない。
だから今度は経済的徴兵制ということを持ち出し始めているのでしょうが、不景気になれば公務員志望者が増えるのは当然で、何も自衛隊に限った話ではありません(自衛官も防衛大学の学生も「国家公務員」です)。「景気悪いし、大学行っても就職がどうなるか分からない。手当ても厚いし、高校出たら地元の役所に入ろう」という職業選択を「経済的徴用」とは言わないでしょう。
国際社会ではアメリカ以外の国の兵士も国際貢献の名目で紛争地帯に派遣されており、死者も出ていますが、「徴兵制に逆戻り」した国があるのでしょうか?
昨年、ウクライナは志願制から徴兵制に戻しましたが、〈ロシアが一方的に編入したクリミア半島には約一万八千人のウクライナ将兵がいたが、その多くがロシア側に寝返った上、海軍本部や艦船、海兵隊の拠点も失った〉という切迫した事態があります。
では日本で徴兵が必要なほど兵力が低下するような状態とはどんな事態か。徴兵制という極端な事例を出されているのでこちらも極端な例を出さざるを得ませんが、自衛官が戦っても及ばず、志願者や予備自衛官、退官後の自衛官を動員しても足りず、家族や親戚、友人が命を落とし、都市や故郷が破壊され、日本の兵力(国力)が著しく失われると想定される事態が起きてからでしょう。
となると、私たちは徴兵制よりずっと前の段階である「日本が攻撃を受けた場合どうなるか」をまず心配すべきで、爆風で死ぬか、建物の下敷きになって死ぬか、テロに巻き込まれる可能性について真剣に考えなければなりません。もう少し軽く考えても「インフラが破壊される」「スマホが使えない」「物流が止まる」「仕事や学校はどうなるのか」などの心配をするのが先です。そこをすっ飛ばして「徴兵制が!」というのはおかしい。
むしろ、徴兵制に至るような事態になる前に防ぐにはどうしたらいいかという話をしているのです。
若者たちは徴兵制を危惧して「僕らも引き金を引かねばならないのか」などと苦悩しているようですが、率直に言って「戦場にあなた方は必要ない」「自分がテロやその他で怪我する心配が先」ということです。
なぜ、「徴兵で戦場に行かされるのは僕たちだ」と若者は叫んでしまうのか。これはもはや「セカイ系」と言って差し支えないのではないでしょうか。
「セカイ系」とは、地球や国際社会の存亡が、自分自身と直結してしまう物語の傾向を指します。自分の決断一つでセカイが変わってしまうような局面を担う主人公が出てくるような世界観です。「平穏な暮らしをしていたのに、ある日突然、自分にも国から『赤紙』が来て、愛する人たちと引き離されて戦場に立たされ、人を殺すのか、殺されるのかの間で苦悩することになる!」というファンタジーがなぜかリアリティを持ってしまうのは、国際社会の趨勢から、国が総力を挙げて戦うような全面戦争は起こり得ない、とされている現在においては「セカイ系」の感覚だと言っていいほど、話が飛躍しています。
映画「アメリカン・スナイパー」をご覧になった方は、主人公・クリスの視点で「自分だったらどうするか」と苦悩を共有した人が多いかもしれません。徴兵制を危惧する人たちは、クリスと自分を重ねているのかもしれません。「兵士の苦悩」を知ることは重要なことですが、実際には一般国民が徴兵されてクリスのような仕事をする可能性はほぼゼロです。
もちろん「いきなりミサイルが落ちて来て日本壊滅」というのもSF的ではありますが、ミサイルやテロの脅威は、少なくとも徴兵制よりは現実的です。シミュレーションすべきは「人を殺すか、殺されるか」「子供が戦場へ」ということではなく、それよりもまず自分や子供がテロやミサイルの被害に遭わないために何が必要か、そのためにプロである自衛官には何が必要なのか、です。「原発にミサイルを落とされたらアウトだ」と原発に反対している人にはこの脅威がお分かり頂けるはずです。
仮に国会議事堂にミサイルが落とされた際、周辺で働く人たちはどういうリアクションを取るべきか、分かっている人はほとんどいないでしょう。地震に関しては訓練の賜物で3・11の際も机の下にもぐったり、ヘルメットをかぶって広い場所に出るなどの行動を取った人が大勢いましたが、ミサイル攻撃や大規模テロに対する一般市民の避難訓練はおそらくほぼ皆無です。
Jアラートの音を聞いたことがありますか? Jアラートは〈地震・津波・火山・気象に関する計十四種類の警報や注意報、有事関連として弾道ミサイル、航空攻撃、ゲリラ・特殊部隊攻撃、大規模テロの計四種類の情報が対象になっている〉警報システムですが、どんな時にどんな警報音が鳴るのか、知らない人がほとんどでしょう。
携帯各社にも情報配信されるようになっているそうですが、事前の知識がなければ、警報が来たところで「え、これ、何? デマ? やばくない?」と言っているうちに被害に遭ってしまいます。
まずその予想される危機に対して国がどう備えるのかが第一段階です。ミサイルであれば防衛システムを高めるための集団安全保障体制(連携を取っている国同士、情報を解析して着弾する前に撃ち落とす)を構築し、日本もその枠組みに参加すれば、脅威から国民を守れる確率が高まる、というのが「一国平和主義からの転換」だと政府は説明すべきでしょう。
「どこが撃ってくるんだ」と言いますが、お隣を見ても自国の幹部を火炎放射機や高射砲で殺害する将軍様が、日本に届くミサイルを持っていて、近海に何発も撃ちこんでいます。(誰がやったか知りませんが、五年前、韓国の哨戒艇は真っ二つに割られて沈没しています)。日本の周りは核保有国だらけ、ミサイルも当然持っています。
「必ず撃ってくる」とは言いません。ただその脅威が日本に及ばんとする場合、対処できる体制を備えておこう(備えがあれば相手が撃たない確率も高まる=抑止力が高まる)、あるいはテロに対する国際的な動きに参加できるようにしよう、という話をすべきところが、なぜ一足飛びに「徴兵制への危惧」にすり替わってしまうのか?
確かに徴兵制への懸念については、右派側の人たち(自民党も含む)がこれまで「徴兵制で若者の根性を叩き直せ」「草食系を自衛隊に入れろ」などと安易に言いすぎたことが、いまツケとなって戻ってきていると言えなくもありません。しかし自衛隊は戸塚ヨットスクールでもなければ、更生施設でもないので、〝ひ弱な若者〟の教育を丸投げされてもいい迷惑でしょう。
国民としては、徴兵制を心配する前に、外からの脅威に対して国がきちんと備えているのかを心配すべきで、その次に、防衛網をかいくぐってミサイルが着弾した場合、あるいは大規模なテロに遭遇した場合、自分たちはどんな行動を取るべきなのか、家族や恋人と話し合うべきでしょう。「徴兵されるかも」の心配はずっと後の段階の話です。
梶井彩子