惑星「ケプラー452b」とバチカン --- 長谷川 良

ケプラー452を公転している Kepler-452b(ケプラー452b)の発見ニュースを聞いて久しぶりに心が躍った。なぜならば、この太陽系外惑星は太陽系から約1400光年離れ、大きさや公転周期などが地球に酷似しているというからだ。すなわち、生命存在の可能性(ハビタブルゾーン)のある惑星というのだ。水の存在はまだ確認されていないが、確認できれば文字通り、“第2の地球”といえるわけだ。米連邦宇宙局(NASA)関係者が、「これまで発見された惑星の中で最も地球に似た条件だ。生命体の存在も考えられる」と、興奮気味で報じたのも不思議ではない。


▲ケプラー452bの想像図(NASA提供)

NASAが今月23日、ケプラー452bの存在を発表する際、同惑星を「地球のいとこ」という表現を使い、地球と同惑星の類似性を強調している。恒星ケプラー452が太陽に似ていることもあって、惑星452bを取り巻く状況はこれまで発見された惑星以上に地球のそれに似ていると想像できるわけだ。

ところで、ケプラー452b発見のニュースに強い関心を払い、フォローしているのは世界の天文学ファンだけではない。ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁の天文学者たちもそうだ。バチカン天文台のホセ・ガブリエル・フネス所長は、「ケプラー452bで生命体が存在可能か確認することが急務だ。可能となれば、神学者はそれについて論じなければならないだろう」と指摘し、ケプラー452b発見の意義を強調している。

フネス所長は25日、バチカン放送とのインタビューの中で、「今回発見された惑星に生命体の存在が可能か否かが判明するまで多くの時間がかかるだろう。科学者たちはケプラー452bの組成や質量が地球と比べてどうか、大気の状況はどうか、などを調査しなければならない。全てが判明するまで10年はかかるかもしれない」と慎重な姿勢を崩していない。

キリスト教の世界観によれば、神は人間を含む万物万象を創造した。その中にはケプラー452bも当然含まれていることになる。その惑星に別のアダムとエバが存在していたとすればどうだろうか。聖書66巻には地球外生命体の存在云々について直接言及した個所はない。だから、ケプラー452bで生命体の存在が判明したならば、神学者は新しい挑戦に遭遇することになる。

神は地球上だけに愛する人間を創造したのではなく、姉妹惑星にも同じように息子、娘たちを創造していたとすれば、地球中心の神観、生命観、摂理観の修正が余儀なくされる。中世のキリスト教会は天動説が否定された時、大きなショックを受けたが、21世紀のキリスト教会はそれ以上の大きな衝撃を受ける可能性が予想されるのだ。

バチカンは1891年、ローマ法王レオ13世時代(在位1878~1903年)にローマ郊外のカステル・ガンドルフォにバチカン天文台を開設した。伝統的にイエズス会の天文学者が管理している。バチカンは米国のアリゾナ州にも独自の天文台で観測を行っている。

フネス所長は、「科学と信仰は互いに相手を否定する対立関係ではない。むしろ、互いに必要としている関係だ」と説明する。ちなみに、同所長は5年前、バチカン日刊紙オッセルバトーレ・ロマーノとのインタビューの中でも、「神の信仰と宇宙人の存在は決して矛盾しない。神の創造や救済を疑わず、人間より発達した存在や世界を信じることは全く正当だ」と主張し、注目された。同所長によると、バチカンが主催した「宇宙と生命」という専門家会議では、宇宙に人間以外の生命体が存在しても不思議ではない、という意見が主流を占めたという。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。