原爆投下は必要だったのか

池田 信夫

毎年この日になると、広島で「反核集会」が行なわれ、原爆が「人類の悲劇」として語られるが、これはごまかしだ。それは人類の問題ではなく、原爆を投下したアメリカのトルーマン大統領の決定であり、ロシアも指摘するように、民間人に対する無差別爆撃は国際法違反である。

トルーマンは『回想録』で「7月26日にポツダム宣言を出したのは、日本人を完全な破壊から救うためだった。彼らの指導者はこの最後通牒をただちに拒否した」と、日本が宣言を受諾していれば原爆は投下されなかったかのように書いているが、本書も指摘するようにこれは嘘である。

原爆投下はスティムソン陸軍長官によって7月25日に決定され、大統領に承認された。これはポツダム宣言の発表される前であり、会談でも議論にならなかった。逆に、ポツダム宣言は原爆投下(飛行計画は8月上旬と決まっていた)を正当化するために、急いで出されたのだ。

ポツダム宣言に対して日本政府は明確な回答をしなかったため、原爆は予定通り広島と長崎(当初の予定は小倉)に投下され、その後に日本政府はポツダム宣言を受諾した。この意味で原爆が日本の降伏を早めたことはまちがいないが、その逆は真ではない。

原爆投下がなくても、当時すでに日本の敗戦は決定的になっており、「決号作戦」と呼ばれた陸軍の本土決戦も実行不可能だった。トルーマンはのちに「広島市民6万人より(本土決戦で失われる)米兵25万人の命のほうが重要だと思った」と、広島市の人口について誤った報告を受けたと弁明している。

トルーマンがスターリンの署名を拒否してポツダム宣言を出し、ソ連参戦の前に原爆を投下したのは、その前に日本を降伏させてアメリカが占領統治の主導権を握るためだった。その意味でトルーマンにとっては原爆投下は必要であり、それは冷戦の始まりだったともいえよう。

しかし戦略的には、原爆は無駄だった。米軍の戦略爆撃調査団報告書は「原爆投下やソ連の参戦がなくても、遅くとも1945年12月31日には日本は降伏しただろう」と書き、マッカーサーは「スティムソンが原爆を使ったのは、戦争が原爆なしで終わったら、その開発に多額の予算を投じた自分の責任が問われるからだろう」とコメントした。