中国は脱北者の強制送還中止せよ --- 長谷川 良

当方は14日、中国・上海経由で2008年、韓国に亡命した脱北者の朴正玉女史(Jongok Park)とインタビューする機会があった。同女史は現在、韓国の「北朝鮮のための正義」(JFNK)という非政府機関(NGO)に所属し、北朝鮮の人権弾圧などを訴える活動を行っている。


▲脱北者の朴正玉さん(2015年8月14日、ウィーン市のレストラン内で撮影)

朴女史は13日、オーストリア・ウィーンの国民議会で開催された「北朝鮮の難民と人権に関する国際議員連盟」(IPCNKR)の会合に参加し、北の人権状況などを報告した、同会合には、10カ国から34人の国会議員が参加した。ホスト国のオーストリア国会議員、韓国人議員(7人)、ルーマニア、グルジアなどのほか、日本からも民主党の中川正春衆議員議員、白眞勲参議員議員の2議員が参加した。

ウィーン会合では北朝鮮の人権弾圧を追及する一方、中国政府に「脱北者の強制送還の即中止」を要請した共同声明をまとめた。会合関係者によると、同共同声明は国連の潘基文事務総長にも送付されるという。

朴正玉女史(61)は1954年、北朝鮮・咸興市生まれ。金属工場で勤務した後、結婚した。夫が亡くなり、1999年に入り生活が苦しくなったので北京に亡命したが2002年、中国の治安関係者に拘束され、北に強制送還された。
同女史は当時の亡命動機について、「1999年はわが国は飢餓カタストロフィーの状況下にあった。路上には多数の死体が転がっていた。彼らは飢えで亡くなったのだ。飢餓から逃れるため一人娘を連れて中国の親戚を頼って亡命した」という。中国での生活は「いつ中国の治安部隊に摘発され、北側に送還されるかといった恐怖から解放されることがなかった」という。

しかし、2002年、中国治安部員によって発見され、北に即強制送還された。北では治安関係者から激しい拷問を受けた。長時間、同じ姿勢で立つように強いられるなど、拷問を受けたという。1年余りで故郷に戻された。
2004年にも再度脱北したが、連絡用の携帯電話を使用したため、中国側に摘発され、再び送還された。2008年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の支援を受け韓国にようやく亡命できた。「北京、上海経由で韓国に亡命した」と亡命ルートを明らかにした。

「張成沢(元国防委員会副委員長)が処刑されて以来、中国と金正恩政権との関係は険悪化してきたが、脱北者に対する中国の政策は変わらない。金正日総書記時代と同様、即強制送還を繰り返している」と証言。なお、朴女史は、「数日前、北の知人と通話したが、金正恩政権はここにきて国民への取りしまりを強化してきていると語っていた」という。

なお、「収容所で日本人らしい者を目撃したことがあるか」との質問に対し、朴女史は「まったくなかったが、故郷の咸興市時代、2、3の日本人の姿を見かけたことがあるが、身元などは分からない」という。

朴女史らJFNKのメンバーたちは14日午後、ウィーン市内で北国内のクリスチャン弾圧の実態を訴えた寸劇を路上で披露し、ウィーン市民に北側の人権弾圧、宗教迫害などの実情を訴えた。ちなみに、イタリアのローマ・カトリック教会の慈善団体「カリタス」が先月30日、公表した最新報告書によれば、北朝鮮では5万人から7万人のキリスト信者が強制政治収容所に送られている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。