時代がそうさせたデザインの類似感

佐野研二郎氏が監修したサントリーの景品のデザインがスタッフによる盗作だったことが波紋を呼んでいます。もともと佐野氏の五輪のエンブレムのデザイン問題もあったことで火がついてしまいました。(というより、誰かが佐野氏の盗作の根拠を見つけようと必死に探したのだろうと思います。政治家がある事件をきっかけに次々と問題が発覚するのと同じです。)

多分、20年前ならこのような問題が今ほどの確率で起こることはなかったでしょう。あまりの情報化でどこにオリジナルがあって誰が作ったのかさっぱりわからない状態なのです。

正直申し上げると私もこうやってブログを毎日掲載しておりますが、多分、人様のブログと同じようなことを記事にしていることも多々ありそうです。それが盗作ではないか、と言われてしまうといや違う、と返しますが、「ほら、内容が同じじゃないか?」と指摘されることもあるでしょう。ある事実をもとに書いている以上、帰着点が同じになることは当然あるのです。私は人様のブログは2,3を除きあまり見る時間もありませんのでそんなことはあり得ないのですが、読み手にしてみればそんなの知る故もありません。

私は芸術の面ではあまりものを申し上げる能力はありませんが、デザイナーさんが常にいろいろなデザインを業務として見ることは当然多いと思います。そして、色遣いやテイストを時代の流れやニーズにマッチングさせるという観点で自分の頭に整理していくのでしょう。

ロゴマークやパンフレットなど広告宣伝で使うものをデザイナーさんにお願いする際にはまず、コンセプトやターゲットマーケットなど商品や製品のバックグラウンドを説明します。デザイナーさんはそこからいろいろ知恵を絞るわけですが、正直、ゼロからのデザインはないと思います。

バンクーバーで住宅開発をしていた際、我々の集合住宅がよく売れた一つの理由にユニットのレイアウトやアメニティが斬新だったことがあります。当時、日本から進出してきたばかりの新参者でローカルテイストにとらわれない新鮮さが受けたのだろうと思います。その結果どうなったかといえば多くのデベロッパーが我々のデザインやレイアウト、アメニティ、クオリティを真似たのです。独創性ある人や会社などそうそう多くあるものではなく、必ず、流行っているもの、売れているものに影響を受けるようになっているのです。

では、真似された我々はただ指をくわえていただけか、といえば違います。真似されることを誇りに思っておりました。そして新規物件を発売するたびに新しいアイディアをどんどん生み出していったのです。物まねウェルカムだったとも言えます。それでも相手は我々に追いつけない理由は人や企業はそれぐらいコンサバだということでしょう。新案が成功すると説明できなければなかなか踏み込めない、だから、野武士のような我々がずっと前を走ることが出来たのです。

インターネットで情報が瞬時に全て手もとに揃う時代です。ちょっと仕事しよう、というのはネットで探すことだと思っている人が増えてきたのではないでしょうか?残念です。自分で考える力、発掘する力を失ってしまっています。

先日、バンクーバーで何時通ってもガラガラの新規オープンの日本食レストランに入ってみました。期待していなかったこともありますが、正直この価格でこれは出せないだろう、という内容でした。なぜ流行らないか、といえばネットなどで宣伝や口コミがないので情報が出てこないからでしょう。実に面白い穴場を見つけたものです。

私もネットに頼りますが、ネットに出ない情報も相当あります。深堀するには書籍を読まざるを得ません。昔風に図書館に籠ることだって必要なのです。街を歩けば必ず発見があります。それはネットが指摘するのではなく自分の感性が反応するのです。ところが今や自宅にいて海外旅行に行った気分にすらさせることが出来る時代です。

佐野氏の盗作問題のようなことはもはやごく普通に起きていると考えて良いでしょう。そして、不幸にも佐野氏のデザインがオリンピックに採用されたからこそ、見つかってしまったサントリーの景品なのであります。

このオリンピック ロゴ問題も日本発ではなかったでしょうか?日本は人の足を引っ張るのが大好きなのですが、引っ張る方、引っ張られる方ともにどっちもどっちだな、という半ばあきれ顔で読んだ記事でありました。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 8月16日付より