三バカ診断しまひょうか --- 山城 良雄

人間を、やってしまいがちな愚行のタイプで分類する、三バカセオリー。ようやく定着してきた(ウソやろ)。最近、「3タイプのうち、私は何人間ですか」とよく聞かれる。ワシは即答する「ヘリクツ人」や。こんな話に興味を持つのはそう決まっている。

こう答えておけば誤診をしても無難や。ブチキレ人に本当のことを言ったり、ボケナス呼ばわりすると激怒されるが、なぜかヘリクツ人にされると妙に納得する。一方、ボケナス人なら、何を言われても次の日までも引きずらんから大丈夫や。

ただし学問的には、もう少し厳密な診断基準が要請されるから、そろそろ整備することにした。ついては、山城良雄大全集の巻頭を飾る予定の主題論文を、アゴラ読者にだけ特別にお見せしよう。

【質問】
次の10個の質問に、「はい」、「どちらとも言えない・わからない」、「いいえ」のどれかで答えてくれ。

1)電気製品の分解修理をすると、組み立て後、部品が余るが、なぜか動いてしまう。
2)自分のスマホやカーナビとケンカしたことがある。
3)血液型性格診断は信じていないが、かなり内容には詳しい。
4)自分が嫌っているひとには、それ以上に嫌われている。
5)テレビショッピングで買い物をし、商品到着後に自己嫌悪で寝込んだことがある。
6)急いでいるときに限って、逆方向の電車やエレベーターに乗ってしまう。
7)持っている財布の中の現金の金額を、いつでも正確に言える。
8)知り合いは多いが、親友と呼べそうな相手はいない。
9)三年以上会っていないが、できれば殴ってやりたい人がいる。
10)アゴラの記事を10本以上、続けて読んだことがある。

さて、採点に移ろう。奇数番号は「はい」が2。「どちらとも言えない・わからない」が1、「いいえ」が0。逆に偶数番号は「はい」が0。「どちらとも言えない・わからない」が1、「いいえ」が2。ただし、「はい」が3つ以上続く場合は、3つ目以降の「はい」を3と計算する。

【診断】
途中で分からなくなったり、イヤになって止めたのに、ここを読んでいるアンタ。ずばりボケナス人や。さらに、何回やっても失敗する人、および計算結果がマイナス、分数、複素数、ベクトルになった人はハイパーボケナス人と言える。

まともな数字が出た人、ご苦労はん。アンタはヘリクツ人や。特に、筆記具や表計算ソフトなどを使った人や設問の不明確さや内容を批判した人は、ハイパーヘリクツ人やな。

はじめから設問を無視するか、読み流して診断へ来た人は、ブチキレ人や。ちなみに、ハイパーブチキレ人は、記事の見出しの「診断」や「しまひょ」に反応して、あほらしくなって他の記事に行くか、別のサイトに移動してしまうか、CTRL+Alt+Delや。ここには居ない。

さてと。ではでは本日の3バカ分析。いまいち冴えなかった安倍戦後談話を読んでみよう。まず、談話が出るまでの経緯をワシなりに整理しておこう。

第二次大戦の敗戦国側の発言ということでは、戦後40年(1985)のワイツゼッカー、ドイツ大統領の演説が有名や。偽善とか、本質的な謝罪がないとかの批判はあり得るが、国際的な評価が高く、その後のドイツ統一、EUの成立や第四帝国へ転換(まだや、まだや)、に好影響を与えたことは間違いない。その意味で大成功やったと言える。

それを、パクッ……ではなくて、東アジアにローカライズしたのが戦後50年の村山談話と言える。内容と評価は周知の通り。さらにそれを踏襲したのが戦後60年の小泉談話や。内容はほぼ同じ。カーボンコピーと言われても小泉はんは反論できん。する気もないやろ。

この流れに、過不足無い批判をしたのが野田前総理や。民主党政治家の発言で、「過」も「不足」もないのは珍しいから記憶に残っている。「10年ごとに総理が談話を出すのは馬鹿馬鹿しい」というのやな。

本家のドイツの方は一発で「お詫び」を決めている。「詫びられる側の出来の違い」てな細かい事は無視するとしても、安物のホラー映画やあるまいし、暑い盛りに、パート2、パート3とやっていく意味が、どこにあるのかさっぱりわからん。

子どもを殺されました、家を焼かれました、慰安婦にされましたてな人には、お詫びをして済む問題やない。ただでさえ加害者側の自己満足と形式儀礼の臭いがプンプンするのに、二回三回と繰り返すと、どんどん真実味がなくなってくる。お前も土下座するの好きやなぁ……と言われて終わりや。

だから、今年、総理の選択肢は3つに限られていた。まずは、ブチキレ対応。「謝罪も反省も十分しました。だいたい一番悪かったのは日本ではない」とでも言い放って、靖国に直行。これなら集団的自衛権の議論も終わる。アメリカが断るからな。

ボケナス対応なら、小泉はんがしたように、過去とウリ二つの談話をホイと出して、特にコメントはせんでええ。談話の恒例行事化とも言える。無難と言えば無難やけど、「ボクも歴史に名を残すんだ」の安倍はんは、こういう手ぬるい事はしたくないやろ。

で、ヘリクツ対応。現実は一番これに近かった。細かいロジックを駆使して、反省を示しながら自分の言いたいことも言う。ワシ、最初に約4000字の談話と聞いて、この路線で来るものとばかり思っていた。

ところが、フタを開けてみると、あちこちの顔を立てるための単文が脈絡なく続き、論旨がグチャグチャになっている。

いくつか例を挙げよう。反省のキーワードに「『新しい国際秩序』への『挑戦者』」というのがあるが、開戦時の『新しい国際秩序』には、西洋諸国による植民地支配やブロック経済も含まれていたはずや。日本が、ここに蹴りを入れたことも、わざわざ反省するつもりかいな。反省内容を抽象化したことの副作用や。

戦後生まれに「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というが、そもそも、「一部の指導者以外には戦争責任はなく、たとえ戦前生まれでも一般国民はむしろ被害者」というのが、ポツダム宣言からサンフランシスコ講和条約、日中共同声明に至るまでの建前のはずや。そこをあえて、「戦後生まれ」という線を引き直すことで、この前提をひっくり返す。ええ度胸してるな。

謝罪や反省の主体は、あくまで個人ではなく日本国(これも戦後生まれと言う気か)や。ここを誤魔化したから、あちこちに矛盾が出る。だから批判も、「けしからん」ではなく「わけがわからん」方面から来る。結局、村山談話・小泉談話の劣化拡大コピー。ほんまに、ご苦労様な事やで。

話をまとめるで。「お詫びや反省を打ち止めにして拍手喝采を受けたい」というブチキレ意図。延々4000字以上もウダウダご託を並べるヘリクツ文体。そして、まるで理屈が通らないボケナス論旨。

三バカセオリーの「混ぜるな危険原則」で考えれば、この談話は、後々、政権にとって大きなダメージになると思う。今のところ影響は軽微のようやが、アメリカが安倍政権を見切るきっかけになるのと違うかな。

今日はこれぐらいにしといたるわ

年内いっぱい夏バテが続きそうな山城 良雄