津田氏がこういう誤った情報を流しているので、訂正しておく。自民党が集団的自衛権の行使を容認することは、昨年12月の選挙公約には明確に書かれていた。なぜなら、それは7月にすでに閣議決定されていたからだ。これに対して野党も公約でそれに反対し、与党が圧勝したのだから、民主制のルールでは「国民は集団的自衛権の行使を認めた」と考えるのが当然だ。
今ごろ野党や学生が騒ぎ出したのは、自民党が参考人として呼んだ長谷部恭男氏が「安保法案は違憲だ」と証言したアクシデントが原因だ。彼は解釈改憲で自衛隊を合憲と認めているのに、なぜ安保法案が違憲なのか、その基準が曖昧だ。解釈改憲はすべてだめだというなら、潮匡人氏もいうように自衛隊も違憲だから解散しろということになる。
要するに憲法学者の論理は、欺瞞的で一貫していないのである。論理的にありうるのは次のどっちかだ:
- 解釈改憲は立憲主義に反するので、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定めた憲法第9条第2項に従って自衛隊は廃止すべきだ。
- 内閣法制局はこれまで「日本は国連憲章51条に定める集団的自衛権を保持する」と解釈してきたのだから、それを行使するのは当然だ。行使できない権利なんて保持しているとはいわない。
法制局が解釈を変更して内閣がそれを閣議決定した時点で、手続き的には合憲である。それをくつがえすことができるのは、最高裁判所であって大学教師ではない。
法は条文だけで成り立っているものではなく、その解釈や運用と一体である。日本の裁判所は伝統的に憲法を厳格に解釈せず統治行為論で行政の裁量にまかせてきたので、自衛隊についても最高裁の判断は出ていない。これは「法的変化には解釈変更で対応する」という慣習であり、それも法の一部である。
こういう従来の慣習の中では、保持している権利を行使するという解釈の変更を内閣が明示的に行ない、それを国会で承認するという安倍政権の手続きは妥当なものであり、むしろ過剰といっていいほど慎重である。
潮氏もいうように法案には「集団的自衛権」という文言はなく、内容は個別的自衛権の範囲を出ていない。それでも違憲だというなら、自衛隊も安保条約も違憲である。そういう解釈は成り立つ(憲法学者の過半数が賛成している)ので、野党は憲法学者と共同で自衛隊廃止法案を出すべきだ。そうすれば、論点は明確になろう。