石井孝明 ジャーナリスト
(上)より続く。
地域の生活、つながりの再建
(写真3)町役場近くの仮設商店街。企業の戻りは遅い
(写真4)町の中心を走る国道6号線ぞいのガソリンスタンド。インフラ関連の企業も再開し始めた
楢葉町内で生活用品や食糧を売る店、飲食店が現時点で少ない。70才代の夫婦は「もともと車がないと生活ができない場所だが、さらに不便になった。特に医者がいないのは不安だ」と、話した。
帰還の意向を示す人では「医療機関・介護・福祉サービスの再開」「商店の再会」を求める人が多かった。(前図表)
町営の震災復興住宅も建設が始まったばかりだ。さらに診療所の開設も避難解除と同時ではなく、今秋がめどになる。政府は今春に「8月のお盆前」に同町の避難指示を解除する意向を示したが、町民は「生活インフラが整っていない」と要望し9月に延期した。それでも整備は途上だ。
また避難で地域社会のつながりが壊れてしまった。町内の住む78才の男性は、かつて東電に勤め、震災まで農業をしながら暮らしていた。「いつも周辺の人と声をかけあっていた。帰る人はまばら。つながりがなくなり寂しい」という。
避難先では痛ましいことに112人の震災関連死が発生した。避難先での孤独死、衰弱死、自殺などの数だ。避難生活のストレスで、健康が悪化する例が多い。
「解除直後は、行政が地域の集会、語り合いなどを開催し、また訪問を増やして、人々が関係をつくる機会を設けます」。町役場の復興推進課課長の猪狩充弘さんは話す。行政がそこまで取り組むのは異例だが、人々の関係を密接にさせようとしている。
放射能問題も生活に影を落とす。町の人々は誰もが放射能と健康について、深い知識があった。自分の問題として真剣に受け止め学んでいた。まだ一部にある「福島は危険」というデマを、深刻にとらえている人はいなかった。
しかし楢葉町議会議長の青木基さんは「安全と安心は違う」と語った。誰もが「本当に大丈夫なのか」という不安を心の底で持つという。楢葉町には、今でも毎日、3~4 人の相談がくる。子供を持つ親の不安感が強い。
町民は「子どもの声を聞きたがる」
(写真5)町の一部にあるグリーンシートとフレコンバック
(写真6)町を走る国道6号線ぞいの移動カフェ。復興、原発工事のために、交通量は多く、客足は「まあまあ」(いわき市在住の店主の女性)という
除染は住居周辺などの生活圏では終了した。放射線量は大半が年1ミリシーベルト程度だが、それよりやや高いところがある。町は除染の徹底化を国に求めている。
町の道路からはずれたところにはグリーンのシートがかけられた場所がたくさんある。下には除染ではぎ取った表土のつまった黒い巨大なフレコンバッグがある。中間貯蔵施設の建設が進んでいないため、このゴミの行く末が未定だ。
福島事故による放射性物質の影響で、健康被害の起こる可能性はほぼないと政府も内外の医療関係者も一致している。しかしそれでも、不安は残る。人々はこの感情と向き合って生活する難しい問題に直面する。震災前と生活の姿は少し変わるだろう。
そして子どもの教育の問題がある。楢葉町は町内の校の町内での再開時期を2017年4月とする方向で調整している。
再開に合わせ、同町はいわき市にある仮設校舎を廃止する。約530人の町民の小中学生がいる。しかし避難指示解除の後で楢葉町の学校に通うと答えたのは16年再開の場合23人、17年は36人しかいなかった。残りは「分からない」が多い。
「町民は「子どもの声」を聞きたがっている。お盆の墓参りの時、たまたま子供の声を聞いて、私も癒された」。楢葉町商工会長の渡辺清さんは、このように語った。
子どもが楢葉町に戻るかは、親の仕事、また生活の場の再建次第だ。町を担う子どもが増えるかは、今の復興の進み具合と放射能に対して「安全」だけではなく、「安心」が確立された後になりそうだ。
「当たり前」のことができる日常へ
避難解除でも新しい問題が次々に発生している。しかし解除を誰もが前向きにこの変化を受け止めていた。住民がそろって話したのはうれしさと希望だ。
制約を受けずに自宅でくつろぎ、寝泊まりする。「当たり前のことができるようになって本当にうれしいし、ありがたい」と70才代の夫婦は話しながら喜んだ。
楢葉町など福島浜通り地域は、田畑と山林がつらなり、夏は緑が大変美しい場所だ。そこに住む人々は「親切」「温厚」「我慢強い」とされる。訪問でそれを感じた。こうした人々であるゆえに、福島原発事故という未曾有の災害を乗り越えることができたのだろう。
この人々が、新たに自らのふるさとを再建しようとしている。私たちは当然、応援するべきだ。国が復興の重点期間と定めたのは、2021年までの10年で、その前半が過ぎつつある。今回の楢葉町の解除は、復興までの重要な一歩であり、残る浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の対策の先例となる。
私たち全日本が楢葉町を応援して、手を携えながら原発事故を克服していきたい。
(この記事はエネルギーフォーラム9月号に掲載させているものを、同社から転載の許諾を得た。関係者の方に感謝申し上げる。)