前回のブログで、幕末の普通の日本人は武士も含め戦争嫌いの平和愛好民族で、およそ戦さをしようなどとは考えていなかったと記した。少数の維新の志士が欧米列強の侵略に対する危機意識を持ったことから、明治維新が成立、アジア諸国の大半が植民地かされる中で辛うじて独立を守った。
だが、その後の富国強兵、殖産振興の動きは速い。多くの日本人はガラリと変わった。列強から不平等条約の締結を余儀なくされ、不逞の外国人が多数、日本に上陸。乱暴、狼藉を働いたことが一般庶民の目に明らかになったからだ。
以前、当ブログは松原久子氏の著書「驕れる白人と闘うための日本近代史」(文春文庫)を取り上げ、次のくだりを引用した。
金銀の交換比率についての日本と海外との差を知り差益稼ぎを狙った、ならず者のような人間がぞくぞくと日本に上陸した。英国の初代駐日総領事を努めたオールコックは「ヨーロッパの屑だ」と口を極めてののしった。屑どもは治外法権をいいことに乱暴狼藉を働き、少なからずの日本人が殺され、婦女が暴行された。その有様をルドルフ・リンダウというフランスの外交官が具体的に書き残している。
我々(フランスなど欧州人)は日本人の尊敬を全く失ってしまった。……最も品位に欠けたヨーロッパ人が来るようになってから、日本人の心の平和と幸せはめちゃめちゃにされてしまった。……酔っ払って大暴れする、私と同じ人種の黄金の亡者たちのやることは、悪行ばかりだった。彼らはわめき声をあげながら町を歩き回り、店に押し入り、略奪した。止めようとする者は蹴られ、殴られ、刺し殺され、あるいは撃ち殺された。……(婦女を暴行し)寺の柱に小便をかけ、金箔の祭壇と仏像を強奪した。
しかし、フランスの外交官もアメリカもロシアもオランダも、そして英国も誰一人として、日本の苦情を取り上げなかった。
異教徒のアジア人を見下していたからだ。軍事力によって押さえつけられると思っていたからだ。
自ら戦う意思を持たねば、国の独立は失われ、平和も安全も、質素な生活さえも維持できなくなる。そんな危惧の念が日本人の間に広がっていった。
明治5年、福沢諭吉が「学問のすゝめ」を出版したときには、そうした土壌が出来上がっていたように思われる。
独立自尊の精神を説いた「学問のすゝめ」は当時300万部を販売する特大ベストセラーになった。当時の人口は3000万人。日本人の10人に一人が読んでいたことになる。現代なら1300万人が読んだ勘定だ。知識階級なら誰もが紐解いていたといえる。独立自尊の心がなければやっていけないと思う日本人が増えていたのである。
「独立の気概なき者は国を思うこと深切ならず」。「学問のすゝめ」に出てくる福沢諭吉の有名な言葉である。
ただ、今の日本国内には乱暴、狼藉を目の前で働く「ヨーロッパの屑」はいない。最大の脅威である中国はどうか。確かに周辺海域で乱暴で危険な侵略行動は見られる。
南シナ海での岩礁埋め立てと軍事基地の整備、尖閣海域への侵入、小笠原沖合いでのサンゴの密漁、ガス田開発基地の相次ぐ建設(それはそのまま軍事基地に転用できる)。
だが、それらを肌身に感じている日本人はきわめて少ない。ガス田開発基地など話には聞いても目には見えない。まして南シナ海での軍事的攻勢など一般庶民には遠い海の無効の話だ。
集団的自衛権の行使容認や安保法制の整備への反対論が強いのも、「今そこにある危機」が見えにくいことに起因している。
中国は直接的な軍事行動で支配地域を拡大するのは、チベットや新疆ウィグル自治区など相手が決定的に弱い場合だけ。ベトナム、フィリピンなどと隣接海域で軍事的イザコザを起こしているが、それも相手の軍事力が弱いと見限ってのことだ。
米軍基地がある日本には手出しをしようとしない。内側から入り込み、宣伝工作によって親中派をふやし、内部崩壊させる戦略をとる。
元産経新聞中国特派員だった野口東秀氏の「中国 真の権力エリート」(新潮社)の中で、中国軍幹部が次のように語っている。
(実践で)兵を動かすのは下策だ。(軍事、政治、経済、情報収集力で圧倒すれば)戦わずして相手を屈することができる。……台湾は(すでに)敵ではない。『島に入り、家に入り、心に入る』という台湾政策は成功しつつあるのじゃないかな。いま、台湾問題があるから軍費を増やせなんてもう誰も言わない。
中国は今、日本人の「心に入る」戦略に腐心している。その突破口は沖縄だろう。琉球王国時代は自らの傘下にあったと思っており、歴史的関係は古い。
沖縄の新聞、自治労、教育組合は親中、親北朝鮮、反日、反米一色で、保守系の政治家とはいえ、親中派や反米派が多いのが現実だ。翁長雄志沖縄県知事はその象徴であり、中国との関係は深い。
恵隆之介氏の著書「沖縄が中国になる日」(育鵬社)を読むと、中国は軍事作戦という「下策」を弄さず、「平和的」に沖縄を支配しようとしているように思えてくる。
「島に入り、家に入り、心に入る」という中国共産党の「三戦」政策――心理戦、世論戦、法律戦は沖縄だけでなく、自民党を含む日本の政界やメディア、学界、経済界にも幅広く浸透し、着実に成果をあげているのではないか。安保法制への反対が根強かった要因の1つもそこにある。
だが、危機は確実にそこに迫っている。中国や北朝鮮の行動を具体的に示す情報戦略を展開し、国民が危機を感じさせるようにしなければならない。
政府やメディアにそれが求められるのだが、中国の宣伝工作がこれらに浸透しているので、しんどい作業になるのは止むを得ない。