日経の懐の深さが問われるFT買収(上) --- 小林 恭子

「まさかー」。私は非常に驚き、聞いたことが信じられない思いだった。

日本でうだるように暑い日々が続いていた、今年7月23日夜のことである。東京に滞在中だった私が寝ようかなと思っていたところに、某ニュースサイトの編集長から「日本経済新聞社が英高級経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)を発行するFTグループを買収した」という連絡があった。


※フィナンシャル・タイムズの週末版(小林恭子の英国メディア・ウオッチより)

原稿依頼の連絡であったが、狐につままれた思いがした。FTといえば、国際的にはあまりにも有名な金融・経済紙。英語圏の経済紙としては米ウオール・ストリート・ジャーナルと双璧を成す。そんな著名な新聞を、日本の新聞社が買うなんてー。

日本企業が外国の著名ブランドを買うこと自体に驚いたことがまずあった。また、新聞社がほかの新聞社を買うという事例が、米英ではよくあるものの、それが日本で起きたことにも驚いた。

翌日、都内のホテルで日経の喜多会長、岡田社長が記者会見に出席し、日経とFTとは「価値観を共有する」という言葉を聞いた。ともに経済紙であるから、確かに共通点は多いのかもしれないとその時は納得した。

しかし、FTの投稿欄を見ると、最も強く出たメッセージが編集権の独立を危惧する声だった。特に、3人の元編集長が寄せた投稿や、光学メーカー、オリンパスの元社長が書いた投稿が目を引いた。元編集長たちは日経が編集上、何らかの干渉をしてくるかもと思っているようだった。また、元オリンパスのマイケル・ウッドフォード氏は2011年、オリンパスが巨額の損失を隠し続けた末に、不正粉飾会計で処理した事件に気づき、FTに内部告発した人物だ。

8月5日付でFTの読者欄に掲載された手紙の中で、同氏は「日経は企業社会日本に近すぎる」、「オリンパス事件の頃に日経がFTの所有者であったら」、米英の他の大手紙に駆け込んでいただろう、と書いた。日経の喜多会長は会見で「FTの哲学や価値観は私たちのものとまったく同じ」と述べたが、これにウッドフォード氏はまったく同意しない、と、切々と書いた。

日にちが経つうちに、私自身が少々心配になってきた。
元編集長たちや、ウッドフォード氏のように日経がFTの報道に何らかの形で干渉する、ブレーキをかけると思っているからではない。

私は2002年から英国に住んでいるが、日本にいた時は日経を愛読していた。一時は、本紙のみならず、産業新聞、金融新聞も購読していた。同時に、仕事上で必要であったために、FTも読んでいた。日経もFTもどちらも好きな新聞であった。

また、日経とFTは言葉が違う新聞であり、合併して1つの新聞を作るわけではない。「日経がFTのジャーナリズムをどうこうする」というのは、普通に考えれば、ないだろうと思っていた。「どうこうする」には、まず「こうしたい」というイメージなり構想があって、そうなるわけで、日経側は「そのままでよい」と何度も言っているようだったからだ。
しかし、私の「心配」とは、日英のジャーナリズム観の違いによるものだ。

―遠慮するか、しないか

左派系高級紙「ガーディアン」の7月末の社説に、このような文章があった。社説は日経による買収を好意的に書いているのだけれども、英ジャーナリズムの特徴として「何者にも敬意を表しない」というのである。

この意味は、相手が権力者だろうとなんだろうとかまわず、書くべきことを書く、という意味である。少々きれいごと過ぎるようにも聞こえるだろうが、政治家をはじめとした権力者に対して、アンチのスタンスでいることが英メディアのデフォルトの姿勢である。

BBCのある記者が、政治家をインタビュー取材する際に「この嘘つき野郎がなぜ私に嘘をついているのか」という態度で臨む、と言ったという著名なエピソードがある。取材対象が権力者の場合、あくまで「敵」なのである。敵は嘘ばかりついて、本当のことを話さない、だから、ジャーナリストはそれを暴こうとする。両者は互いに噛みつこうとする犬同士のように、敵対関係にある。※(下)に続く

在英ジャーナリスト 小林恭子


編集部より;本稿は、10月から執筆陣に加わった在英ジャーナリスト小林恭子さんがアゴラ向けに特別に書き下ろしました。小林さんに心より感謝いたします。あす11日掲載の(下)もお楽しみに。