日経の懐の深さが問われるFT買収(下) --- 小林 恭子

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「政治家だから」「えらい作家だから」「著名人だから」「年上の人だから」「宗教組織の上の人だから」――などなど、こういったもろもろのことに遠慮して、聞くべきことを聞かないという態度とは正反対にあるのが英国のジャーナリズムである。


※FT買収が「異文化」との出会いになりそうな日経(写真は東京・大手町の日経社屋、wikipediaより)
日経社屋
そして、敬意を表さない「誰か」には、時として自分が勤務する組織の上司も含まれる。例えばBBCにあるスキャンダルが発生して、経営陣をインタビューすることになったとしよう。この場合、記者は自分の上司の上司であるその経営陣を、徹底的に斬らなければならない。遠慮してはいけない。そうしないと、BBCの放送を支える、テレビライセンス料(NHKの受信料に相当)を払う市民を裏切っていることになるからだ。記者がマイクを持って誰かに質問するとき、市民を代表して、そこにいるからだ。

こういう姿勢は硬い話の時ばかりではない。
例えば、先月、米名優ロバート・デニーロがBBCの雑誌「ラジオタイムズ」の記者にインタビューされた。しかし、質問が「失礼だった」らしく、デニーロは途中でスタジオを出て行った。4月にはテレビ局チャンネル4のインタビューで、別の米俳優ロバート・ダウニー・ジュニアがインタビューを途中で取りやめた。英ジャーナリストにとって、ハリウッドのドル箱俳優だからと言って、遠慮する必要はないのである。こんな例はきりがないほどだ。

必要な情報を得るためには、人を使ってゴミ箱をあさらせて情報を集めたり、探偵事務所を使ったり、誰かのふりをする、つまりおとり取材をしたり、時には高額で情報を買って、真実を外に出すーこういうことを、英国のニュースメディアは日々、やっている。

日本でも、あの手この手の取材方法が駆使されているとは思うが、新聞や大手放送局が、ある意味、ここまで手を汚してまで、やるだろうか?政治家の取材でも、締め出しを食らいたくないから、気を使って、穏便に・・・という姿勢はないだろうか?

といって、日本のメディアをここで批判しようというのではない。もっと深いのである。

メディアから外に話を広げてみていただきたい。日本人としての日々の生活の中で、相手の気持ちを思っていろいろやらないということが多々ないだろうか。日常生活のレベルで相手に気をつかい、なるべく穏便にことを進め、他人を怒らせないようにしているとしたら、仕事の上で、急に大胆に、相手を怒らせてもいいから、言うべきことを言う・・・なんてことができるだろうか?

私自身が、日本人として英国に住み、日本人的感覚からは「失礼かな」と思うことでも、取材対象に聞くようになった。でも、どこかで戸惑うし、一歩下がる。どんな人にも、一定の「失礼がないように」という最低限のマナーを忘れない。自分のDNAがそうなっている。このDNAをなくそうと思っているわけでもない。すべてをひっくるめての自分だからだ。

つまりは、日英では文化が違う―どこまで、何が許容されるか、という意味で。ジャーナリズムの面では、どこまでどんな風に物事を進め、相手に質問し、どこまで書くかが日英では(当然ながら)違う。

日経にとっても、FTにとっても、互いに異文化との出会いになりそうだ。
具体的には、互いの組織であまり外に出したくないことがあって、でもその情報を公開することが市民にとって重要だと思われたとき、タブーなく、批判的な報道ができるのかどうか。ここで互いの勇気と本気度が問われるだろう。

私はどうなるかをじっくり観察したいと思っている。

在英ジャーナリスト 小林恭子
小林恭子
在英ジャーナリスト 小林恭子


編集部より;本稿は、10月から執筆陣に加わった在英ジャーナリスト小林恭子さんがアゴラ向けに特別に書き下ろしました。小林さんに心より感謝いたします。小林さんのブログ「英国メディア・ウオッチ」もご覧ください。