「ペテン師と好奇心と検索脳」考

若井 朝彦

わたしの愛読書のひとつにカール・シファキス著『詐欺とペテンの大百科』(鶴田文訳・青土社・2001)がある。

古今東西、騙されてしまった人にはお気の毒だが、読んでいて興味深い。ペテン師というものは、人類の想像力の副作用のようなものではないかと思う。わたしも騙されたくはないが、一人のペテン師も生きられない国にはとても住めたものではないのである。

ベートーヴェンの伝記にはメルツェルという人物がかならず登場するが、このヨハン・ネポムク・メルツェル氏と深い関係にある

【自動チェス人形】

の項目がこの百科の中にはあった。これがやや値のはるこの本をわざわざ買う決め手になった。現在からすればこの項目の記述はすこし頼りないが、この翻訳が出た当時はもちろん、たしかに数年前まで、この件はネットの検索でも出てこなかったはずである。

メルツェル氏といえばメトロノームの発明者として日本では知られている。日本語のwikiも現在ほぼその扱いである。日本人はまだ騙されているようだ。地下のメルツェル氏も苦笑していることと思う。だが英語版、ドイツ語版wikiでは詳しい経歴が書いてある。情報落差があるわけだ。(日本語の音楽辞典でも、メトロノームは先行発明の模倣ということで決着がついている)

メルツェル氏の手段もこの情報落差だった。ウィーンのベートーヴェンの大ヒット作品をミュンヘンに勝手に持ちだし、さらにロンドンを狙う。オランダで目にした発明品(つまりメトロノームの原型)をフランスで商品化する。そうやってヨーロッパを駆けまわった。しかしキューバからの帰路、失意の内に没。追っかけてくる情報を振り切ったり、追いつかれたりの生涯だったようだ。

それでもメルツェル氏には人の好奇心をくすぐる特技があった。裁判沙汰になったベートーヴェンとも和解した上に事業の手伝いまでしてもらっている。

当時の世界は情報に飢えていた。テクニックもファンタジーに満ちていた。だから18世紀や19世紀のペテン師の経歴は読んでいて愉しいのであろう。

もちろん現在の世界も情報には飢えている。万人が情報上位に立とうと必死である。ただ、どんな情報が欲しいかはあらかじめ決めてかかっている。わたしにはそういう風に見える。奇想天外な情報は無視する傾向が強いのではなかろうか。総じて無駄を楽しむ余裕がない。

現代のペテンが、そのころと比べて面白くないのは、このあたりに原因があるように思う。騙す方も騙される方も、効率主義が強すぎる。珍しいものに出会って欲が出るのではなくて、たいてい欲しいものはあらかじめ決まっている。

知識欲、好奇心も似たようなもので、知って楽しむのはネットの検索機能でいともたやすくなったが、目的の検索の範囲外には関心があまり広がっていない。ネットサーフィンという言葉もすこし古くなってしまったようだ。行って帰ってそれでおしまい。特定のキーワードには、敵味方の区別もつけずに過剰に反応する人がじつに多いが。

しかし東芝の経理、フォルクスワーゲンの排ガス性能、STAP細胞の機能、東洋ゴム、旭化成建材etc、よくもまあ、そんな大企業や大組織でそんなことがまかり通ったものだとびっくりはする。むかしとはスケールが違う。ちいさな国なら吹き飛びそうなものまである。

上記の企業など、ペテンは内々で遂行されて、その目的もありきたりで陳腐なものが多いが、規模が大きいほど、歯止めが利かなくなっているのではあるまいか。示唆と無言の迎合。プロのペテン師がいるからペテンが起こるのではなくて、要望に合わせて平凡な人がペテン師になる。因果関係の逆転。この傾向でいうと、政府要人の「ブレーン」が、極度に単純化した目的しか持たない「首脳」に、何を吹き込んでいるかわかったものではない。それどころか財政など、すすんで騙されているように見えることさえ多い。

 2015/10/17
 若井 朝彦(書籍編集)

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