地域創生を余所者、若者、馬鹿者に任せてはいけない

 地方創生という名のものとに、ICT関係で多くの公的な予算措置が展開されている。先週は、異なる会議で異なる事業者から、地域活性化や観光のために、地方に無料で簡単に使えるWi-Fiアクセスポイントを展開しているとか、展開しようという話しを聞いた。このいずれもが、「訪日外国人の不満で最大なのが無料のWi-Fi接続がないことです」という、数年前に某省の研究会が報告書に引用した、とても恣意的なフレーズを根拠にしている。

 長年、無線LANに関係してきている私としては、日本国内に安心・安全に使える無償のWi-Fiサービスが増えることは、実に嬉しい限りだ。また、地域情報化に関わり、実際に地方に住んでいる身としては、それが地域創生につながることも歓迎する。

 ところが、こういう提案をする人に、「公的支援での導入は良いけど、先々の運営コストなどは、地方では誰が負担するのですか?」と聞くと、ほとんどの場合、明確な回答を得る事が出来ない。つまりは、こういう提案をする人は、持続的な地方創生なんて事は、まったく眼中にないのだ。
 似たような話しは、”災害に強いインフラ”とか”ICTで観光”などの研究ネタでも多々ある。今後IoTに関しても同様に、あたかも地方創生に寄与します的に見えて、実は地方の疲弊化の第一歩となりかねない展開になるのは悲しいので、経験的な視点からこの記事を投稿する。


 私は、平成10年に四国電波監理局(現在は四国総合通信局)が主催した「自治体ネットワーク用小規模無線システムに関する調査研究」という研究会で、徳島県の鷲敷町という中山間地域に、無線によりIPネットワークを構築し、町役場、小・中学校、社会保険事務所等を接続する地域イントラネットを構築した。 当時は、常時接続型のインターネットで、もっとも廉価だったISDNの固定IP接続はOCNエコノミーで月額38,000円もした。そこで、役場などにこの回線を引いて、それ以外は自営の無線IPルータでメッシュ型の地域イントラを構築して、シェアするというアイデアの実証をした。
 この時に、初めてインターネット常時接続を経験した人が沢山いて、それは本当に喜んでもらった。しかし、この実証実験は、単年度のために終了したら、これらの施設は撤去せざるを得なかった。これは、本当に辛くて、なんとか継続できないかと協議したが、この当時は諦めるしかなかった。

 そこで、翌年に松山市内で福祉関係の施設を接続する同様の研究会をおこなった時には、事後の持続性を最初から協議し、福祉関係者らが回線費用を拠出することになり、継続して使えることとした。
 この時の実証実験をもとに、私は地域情報化に関わって、全国でも300以上の地域に、無線イントラネットを導入することになった。実際に、関東のある市では、市内の小中学校どころか幼稚園もすべて常時接続になった。

 こういう経験から、私自身も地域情報化という名の活動に関わって行くことになり、国もブロードバンドゼロ政策等により、地方のICT化への予算支援などを推進していった。 しかし、その後自分自身が、地方に生活の拠点を持つようになると、大きな違和感を感じるようになった。それは、いつのまにか地域情報化というのが、「都会人の都会人による都会人のための地域情報化」になっているのではないかということだった。とても、抽象的な言い方をすると、いろいろと持ち込まれる事例や提案には、その地域の土の匂いがまったくしないということだ。
 一方で、その後に、合併特例債によって市内全域FTTHを導入し、CATVとブロードバンドの整備をするという事業にも関わったのだが、こちらは見事なくらいに、地域政治の政争の具となって、市民が置き去りにされるという悲しい展開となってしまった。

 これらの事から私が学んだのは、結局のところ中央官庁がお題目を作り制度設計をして、予算も付けても、それに乗じた中央の企業が持続性等を考慮しない箱物的な買い物を地域にさせるバターンの多さだ。こうなると、将来的には箱物は朽ちていくし、その運用という足枷が発生し、結果的に地域は疲弊化していくことになる。

 前述の地域イントラなどは、その利用は地域であったから自営的な運営が可能な身の丈のものであった。実際に先週のとある会議でも、当時地域イントラを導入したある自治体の方が参加されていて、未だ一部それを利用いただいているという話を聞いたものだ。

 しかし、観光客や遍く広く多くの市民にサービスを提供するWi-Fiスポットとなると、その持続的な運営と責任は、まったくサービス事業者のそれに近しい重さが生じる。実際に、アクセスする端末の技術だけみても、3年くらいで大きく進化していくわけだ。また、日々の運用という視点でも、セキュリティ等を含めて常時、逐次という対応が求められる。だから、こういうO&M(Operation & Maintenance)コストまでも含めて、持続的な提案がないと、それは大きな借財の種を蒔くだけだろう。

 同様な話は、学術研究機関などの行う実証実験でも多々あって、地方自治体に導入されましたみたいなキャッチなリリースはするものの、持続的運用やその撤去費用の予算措置などを考慮しない酷いものも多いようだ。

 それでも、この類の事案が次から次へと出てくるのは、地方を活性化し変えるのを、「余所者、若者、馬鹿者」 だけに任せるからだ。 私も地域活性化の活動を通じて、「余所者、若者、馬鹿者」の力の必要性を唱えたほうだけど、これと対番をなす「地元民、年寄り、賢者」があっての事だ。

 どんな地域にも、新しもの好きの若者や、それを推進する馬鹿者もいて、そこに火をつける余所者と巡り会う事で大きな変化を生む。ところが、これが地域の中に目を向けないタイプだったりすると、結局のところ持続性を持たなくなるのだろう。

 本当に地域創生をというのならば、地域にしかないモノ、地域独自の習慣を、風習を、古いとか遅れてるとかで切り捨てるのではなく、どう融合できるのかを考えることが肝要ではないだろうか?

 おそらく、IoT推進の政策により、農業IoTとか地域IoTみたいな話が、これから地方自治体や関係機関には、たくさん持ち込まれるだろう。この時に、「余所者、若者、馬鹿者」と「地元民、年寄り、賢者」の混合チームが組成できるかが、将来に投資がゴミとなるか持続するかの鍵になるだろう。