観光都市の軽佻さと馬の「死」 --- 長谷川 良

フィアカーが先日、ウィーン市内で車と衝突し、馬が死去した。2007年10月にもフィアカーの馬が死んだ。後者の場合は突然死だった。当方は当時、馬の突然死にショックを受け、このコラム欄にもその出来事を書いた。記録しておきたかったのだ。

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▲市内を走るフィアカー(2013年4月27日撮影)

8年前のコラムの一部を再現する(「フィアカーの馬の突然死」2007年10月23日参考)。

「突然死は残された遺族に悲しみと共に、言い知れないショックを与えるものだ。その突然死が愛する馬に襲ってきた場合はどうであろうか。ウィーン市の観光目玉の一つ、観光馬車のフィアカー(2頭立て馬車)の1頭の馬がアム・ホーフを通過した時、突然、前屈みとなり、崩れるように倒れたのだ。フィアカー(Fiaker)に乗っていた観光客ばかりか、その現場を目撃したウィーン子もビックリした。検診の結果、馬が心臓発作で急死したことが判明した。翌日の日刊紙社会面には、フィアカーの馬の突然死が小さく報じられた」

今回のフィアカーの馬の死は信号を無視して道路を渡ろうとしたフィアカーに車が衝突した結果だ。責任は馬にあるが、なぜ馬は御者の言うことを無視して走り出したかは分からない。ひょっとしたら、自分の横を走る車に怯えたのかもしれない。

フィアカーについて、ウィーン市民の間では意見が分かれている。フィアカーの営業は1693年から始まったという。音楽の都ウィーンは観光都市だ。毎年、世界各地から音楽ファンや国際会議に参加する人々がウィーンを訪れる。観光シーズンになれば、多くのツーリストがフィアカーに乗り、市内を見学する。フィアカー観光は街を彩る大切な存在だ、という考えだ。

もう一つは、動物愛護の観点から、フィアカーの馬にとってアスファルトの路上を歩くのは酷で、馬にとってストレスが大きいから廃止すべきだという意見だ。車が走るリンク通りを観光客を乗せながら、走るのは馬にとって大変だ。馬が車に驚かないように、前方しか見えないように一種の目隠しがつけられる。また、馬の糞が路上に落ちるのは衛生上良くない、ということで、糞受けのバックを馬のお尻に付けて走らなければならなくなった。ストレスは想像以上に大きい。

考えられるのは、フィアカー専用地帯を設置し、車との接触を回避する案だ。専用地帯を取れるだけのスペースがあれば、それが理想的だが、多くは車両と人間が限られた場所を行き来している場所が多い。だから、観光業を優先するか、動物愛護から市内のフィアカー観光を廃止するかの選択を強いられるわけだ。

ところで、ベートーヴェン研究家としても有名なロマン・ロランはその著書「ベートーヴェンの生涯」の中で、「ウィーンは軽佻な街だ」と評している。観光都市として常にイベントを開き、イベントで暮れる。そのような都市の片隅で自殺者が絶えないのだ。オーストリアでは自殺をVolkskrankheit(国民病)と呼ぶ。観光都市に住む人間にとって、観光は生きていくうえで生命線と理解しているが、心が落ち着かなくなる。観光都市に住む人間の宿命だ。

当方は若い時、米国を旅行したことがある。ワシントン、ニューヨーク、ボストン、マイアミ、ニューオリンズ、ヒューストン、サンフランシスコ、ハワイなどを訪ねた。その時、知人が、「観光は光を観る業だ」と説明してくれたことがあった。光、創造された世界、自然の中でその光を発見することが観光だというのだ。神を信じていた知人だから、神の創造の光を意味したのだろう。

ウィーン市に生きていると、その光を観るといった“観光”が難しくなってきた。様々なイベントが計画され、人々に呼びかける。光はあるが、観る余裕がないといった感じがする。フィアカーの馬の死は直ぐに忘れられ、新たな馬が観光客を乗せて市内を行く。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。