ジョージ・オーウェルの小説に『1984年』という小説がある。1948年に書かれたので、後ろの「4」と「8」を逆転させ「1984年」とされたと聞いたことがあるが、この年自体に意味はない。左翼全体主義社会、共産主義社会の自由を抹殺する恐怖を描き出した傑作なのである。
この小説の中で、最も面白い概念が「二重思考」という概念だろう。
オーウェルは次のようにその特徴を示している。
「知ること、そして知ってはいけないこと、完全な真実を意識していながら注意深く組み立てられた虚構を口にすること、相殺し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること、論理に反する論理を用いること、モラルを否定しながらモラルを主張すること、民主主義は存立しえないと信じながら党こそ民主主義の擁護者だと信ずること、忘れ去る必要のあることはすべて忘れ、しかし必要とあれば再び記憶の中に蘇らせて再び即座に忘れ去ること、そしてなかでも、その同じ方法それ自体にも、この方法を適用するということ」
その具体的な事例をオーウェルは全体主義政党の三つのスローガンに表現させている。
「戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である」
どう考えても矛盾しているのだが、この矛盾を矛盾と捉える正常な神経を麻痺させることが、二重思考の要諦だ。
どうして、急にオーウェルの「二重思考」を思い出していたかと言うと、まるでオーウェルの小説の中の台詞のような発言を目にして驚いたからだ。
産経新聞によれば、民主党の枝野幹事長が次のように発言したという。
「立憲主義を守らない安倍晋三政権の方が、共産党よりよほど『革命的』だ」
立憲主義を守らないという批判が、「偽りの立憲主義」者たちの虚妄の議論であることは拙著『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)の中で詳述したので、そちらを参照して欲しいが、驚くのはその先の部分だ。
「安倍晋三政権の方が、共産党よりよほど『革命的』だ」
これは明らかに「二重思考」に属する言葉だといっていい。
そういえば、枝野幹事長は、以前、こんなこともいっていた。
「保守は歴史と伝統を重視する。保守は民主党でしょ、とそろそろ言いたい」
まるでジョージ・オーウェルの小説の中から飛び出してきたような、事実を転倒させて、堂々としている台詞には驚くしかない。
※枝野幹事長は「二重思考」なのか?(出典;Wikipedia)
オーウェルのスローガンに付け足してみよう。
「戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である
安倍晋三政権の方が、共産党よりよほど『革命的』だ
民主党は保守だ」
やはり、ピッタリとあう。
誰か、枝野幹事長を「二重思考」から解き放ってあげて欲しいと願うが、この政治家の発言は全て、こういう「二重思考」に基づくものなのだろうか。
考えてみれば、民主党政権の発言は「二重思考」と思わせるものが多い。
鳩山元総理の「最低でも県外」などと言う言葉がその最たるものだった。
そう考えてみると「集団的自衛権の行使容認は立憲主義に違反する」という幾度も繰り返されたスローガンも、「二重思考」に基づくものなのかもしれない。
編集部より:この記事は岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2015年10月28日の記事を転載させていただきました(画像はアゴラ編集部担当)。オリジナル原稿を読みたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。