“欠損萌え”はNGなのか?

乙武 洋匡

昨日、Twitter上で手や足がない“欠損女子”が接客をしてくれるユニークなBARについての記事を紹介した。世の中には“欠損萌え”とも呼ばれるジャンルがあるらしく、手や足が欠けている状態に強く惹かれたり、性的興奮を覚える方々がいるという。長らく“欠損男子”として生きてきたからすれば、「モノズキもいたもんだ(笑)」と驚かざるをえない。

※ネットの報道で注目が高まる「欠損BAR ブッシュドノエル」(同店ツイッターより)
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この記事への反響は大きく、様々な感想が寄せられていた。賛同だけでなく、なかには「抵抗がある」「さすがにどうかと思う」といった反応も見られたが、この十数年、継続的に「障害を売りにするな」という非難を浴びてきた私からすると、「やっぱりな」と苦笑いせざるを得なかった。

気になる相手に「好きなタイプは?」と聞くように、人にはそれぞれ好みがある。その質問に「包容力のある人」といった内面的な要素を答える人もいれば、容姿についてのこだわりを熱く語り出す人もいる。どちらがいい悪いという話ではなく、その人が重視するポイントが違うのだから、当然の話だと思う。

容姿についてのこだわりも様々だ。たとえば、男性ならば「背が高い」「細マッチョ」「彫りが深い」といった特徴はいかにもモテそうだが、一般的には不人気とされる「太っている」という要素に魅力を感じる女性もいる。女性ならば「ぱっちり二重」が理想のように言われるが、「一重の女性が好き」といった声もある。

そうした他者の好みに対して、第三者が「抵抗がある」「さすがにどうかと思う」といった反応を示すことがあるだろうか。“デブ専”や“B専”の友人に冗談めかして、「いやあ、ないわあ」と言うことはあっても、眉間にしわを寄せて、「さすがにどうかと思うぞ」と言う人がどれだけいるだろうか。

それが、なぜ“欠損萌え”が対象となると、「いやあ、ないわあ」とライトに笑い飛ばすことができず、深刻な問題として捉えられてしまうのだろうか。その問題を語ろうとするとき、まるでタブーに踏み込むかのような覚悟を求められてしまうのだろうか。「欠損」は、なぜ特殊カテゴリーなのだろうか。

「デブ」「ハゲ」「出っ歯」などは、一般的に不人気とされているものの、それでも身体的特徴のひとつだと認識されている。ところが、欠損といった「障害」は、まだまだ身体的特徴だと捉えられてはいない。百歩譲って、たとえ特徴だと認識されていても、そこにはある種の「スティグマ(烙印)」が押されている。

「おまえは社会的にスティグマを背負う人間を愛せるのか」と問われれば、誰だって躊躇する。それが“欠損萌え”についてライトに語ることを阻んでしまっている要因ではないだろうか。ああ、なんと面倒くさい。「オレ、“欠損女子”好きなんだよね」「ええ、マジないわあ…」ではダメなんだろうか。

最後に、このBARで働く琴音さんの言葉。「正直に『いやらしい目で見てもいいですか?』と聞かれたこともありますよ。でも、ひとつの萌え要素としてそう思ってくれているんだから、全然平気。何をそういう目で見るかは個人の自由ですし。そもそも、欠損している私を認めてくださっていること自体が、嬉しいんです」

“欠損萌え”に抵抗を感じることは、いたって自然だと思う。かといって、“欠損萌え”という感情を抱く人々に対して、後ろ指さして、あれこれ言うことも違う。所詮は、他人の性的嗜好。第三者がどうこう言う筋のものではない。ちなみに、私は“一重女子”が好みだ(笑)


ototake


編集部より:この記事は、作家、東京都教育委員の乙武洋匡氏のオフィシャルブログ 2015年10月30日の記事「“欠損萌え”はNGなのか?」を転載させていただきました(画像はアゴラ編集部が作成)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は乙武洋匡オフィシャルサイトをご覧ください。