マッカーサー回想録のウソ 

福田和也「昭和天皇1」から

福田和也の「昭和天皇」からマッカーサー回想録のウソの一部を紹介する。以下は文庫版第一巻P92~93から引用 青字はマッカーサー回想録からの引用

私は突然日露戦争観戦のため日本に派遣された父(アーサー・マッカーサー少将)の元に行けと命じられた。私はこの観戦で多くのことを見、聞き、学んだ。中略
私は大山、黒木、乃木、東郷など(中略)日本軍の偉大な司令官達に全部会った。そして日本兵の大胆さと勇気、天皇への殆ど狂信的な信頼と尊敬に永久に消えることのない感銘を受けた(以上マッカーサー回想録から)。 

確かにマッカーサーは大山や乃木と会っているが、観戦武官として満州の戦場で会ったのはなく、東京で合流した両親とともにアジアの七カ国の旅を終えた後東京に戻ってから表敬訪問として会った。尚「天皇に狂信的な信頼と尊敬の念」をもつ兵士に会う機会はなかった以上福田の同書から引用

「回想録」中のこの短い文章中、ウソが二つもある。日本の将軍達には日露戦争観戦中に会ったというウソ(マッカーサーが会ったのは日露戦争が事実上終わった後、場所は東京)、 「天皇に狂信的な信頼と尊敬の念」をもつ兵士に会ったというウソ(このウソは後に天皇を温存した占領政策の成功を自賛する伏線となる)。

更に続けて、
その指導層の傲慢で封建的なサムライ達を見る時、私はこの剣の信奉者達が戦いに勝ったことに乗じてやがて東洋全体をその支配下におこうとする危険な考えを抱き始めているのではないかと不安に感じた。この連中が機が熟したと見るや容赦なく太平洋と極東の支配に乗り出そうとする気配は既にはっきり現れていたし、彼らの目が中国、満州から太平洋の諸島に向けられていることにも疑いの余地はなかった。以上福田同書から引用

これだけでは何ということもないが、遥か後年の議会証言(1951年5月3日~5日)と照合すれば実に奇異の念を感じる。

日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もないのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫(すず)が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られたせいなのです。
(青木注:1000万から1200万の失業者数の根拠が分からない。マッカーサーはよく根拠もなく誇大な数字を上げるクセがある。彼は当時の日本の総人口と就業人口を知っていたのか。失業者数1000万~1200万は如何にも誇大)

「回想録」では、早くも日露戦争直後に日本指導層の侵略的傾向に気づいたと書き、議会証言では日本の戦争は自衛戦争であったとする。そしてウヨクは前者を殊更無視し後者だけを取り上げて「マッカーサーでさえ日本の戦争は自衛戦争であったと認めた」と得意気に主張する。いい気なもんだ。

ウヨクのためにその理由を説明してあげよう。「回想録」では自らの先見の明を誇りたかったのだ。そして朝鮮戦争最中の議会証言では「共産軍憎し」の感情がこう言わせた。あの情況下では最も重要な同盟国であり朝鮮戦争の最も重要な兵站基地である日本の旧悪を暴くのは得策でないと考えたのだ。

高い地位にあるものが情況に応じて発言を使い分けるのはよくあることだ。マッカーサーの場合特にこの傾向が著しい。だが発言の背景に思いを致せば騙されることは少ない。それなくして片々たる発言を重視するのは愚かしい。
もし日本が行った戦争に関するマッカーサーの認識が議会証言通りであれば、東京裁判は間違いであったことに帰結するから死刑を執行した7名の遺族に謝罪し当時収監中であったいわゆるA級戦犯の即時釈放を主張しなければ一貫しない。マッカーサーが議会証言で東京裁判に触れなかったことをウヨクはどう説明するつもりか。

青木亮

英語中国語翻訳者