「空爆がテロをまねいた」とか「彼らと話し合って和平をめざすべきだ」という話があるが、いったい誰と話し合うのか。このように主権国家と「国家でないもの」の非対称戦争は、20世紀以降の戦争の特徴だ、とカール・シュミットは指摘した。
ボルシェヴィキや中国共産党のようなパルチザンとの戦争は、近代ヨーロッパの主権国家の戦争とはまったく異なるものだ。レーニンにとって近代国家はブルジョアジーが植民地から掠奪した富を「所有権」で守る権力装置であり、ロシア革命はその偽善を暴き、帝国主義を破壊する世界革命だった。
「イスラム国」のテロは、かつての共産主義ほど組織的ではないが、主権国家に対するパルチザンの非対称戦争という点は共通している。中でもイスラム原理主義のテロは、ヨーロッパの植民地支配で分断されたアラブを統一するという大義があるから、妥協も停戦もない。
ムスリムはこれからも増え続けるが、イスラム原理主義は共産主義ほどの脅威にはならないだろう。ロシア革命がレーニンやトロツキーなどの知的なリーダーに指導され、世界の多くの知識人の共感を得る高度な理論をもっていたのに対して、イスラム原理主義の主張する「アナーキズム」は、ムスリム以外の支持を得るとは思えない。
しかしイスラムの戒律に従い、アラーのために死ねば天国に行けるという教義は単純で、字の読めない民衆にもわかる。それは途上国において救済を低コストで実現する「革命の逆イノベーション」だが、レーニンや毛沢東が政権を掌握できたのは世界大戦の混乱の中だった。今後そういう事態が起こるとは考えられない。
ただグローバル・ジハードがトロツキーの世界革命と似ているのは、それが(主観的には)すべての人類を救済する普遍主義的な永久革命であり、世界革命が成功するか全滅するまで終わらないということだ。「イスラム国」が戦闘能力を失うまで、この「戦争」は終わらないだろう。話し合いや妥協は不可能である。