今回の一連のデモは一体何だったのか?

少し前には「反原発」で、最近は「反安保」で、久しぶりに相当規模の「デモ」があった。しかし、日本のかつての「反安保デモ」や、諸外国でのかなり激しい「デモ」を見てきた私の目から見ると、何となく「気晴らし」程度のものに見えてしまう。主催者がこれでどういう成果が得られると想定していたのかも、未だによくわからない。それなのに、多くのマスコミがこれに相当の意義を感じているかのような扱い方をしているのを見ると、「不思議」の感を禁じ得ない。


参考となる世界の事例


全般的に見て、本当に意義のある「デモ」は、下記の二つのカテゴリーに大きく分けられると思う。

1)民主主義体制が実現しておらず、「議会選挙などを通じては望ましい政策が実現できない」と判断された場合の「最後の手段」として行うもの。

2)民主主義体制が実現していても、国論が大きく分かれている場合には、来るべき議会選挙や議会内での投票、或いは独自になされる行政府の決定等に関連して、自分の信じる方向に反対者や無関心層を呼び込む為の手段として行うもの。

前者の典型的な例としては、「政権打倒」という「具体的な成果」を見事にもたらしはしたものの、その後には混乱を招いて状況をむしろ悪化させた「チュニジアのジャスミン革命」や「エジプト革命」があり、目的は果たせなかったものの、平和的な行動に終始して、世界の耳目を集めるのには成功した「香港の雨傘革命」などがある。

過去に遡れば、1989年、ソ連が開放政策に転じたという情報を得た東欧諸国の市民達が、粛然としたデモを敢行して、共産党政権下の秩序をあっという間に崩壊させたのは記憶に新しい。

1980年に韓国で起こった光州事件は、大規模な民衆の武装蜂起に発展し、結局は多くの犠牲者を出して軍に鎮圧されたが、「その後の韓国の民主化に重要な貢献をした」という評価を得ている事も忘れてはならない。

後者の典型的な例としては、台湾で成功した「ひまわり革命」がある。学生達が「国会を占拠する」という過激な行動に出たが、賢明な若い指導者達が丁寧な言動に終始して一般市民の支持と同情を得、それに続く選挙で与党の国民党を大敗させる原動力となった。

ギリシャは、今年の7月5日の国民投票でチプラス政権にEUの求める「緊縮政策」を拒否する姿勢を貫かせる事に成功し、「民主主義の勝利だ」と自画自賛していたが、EUがそんなに甘い訳はなく、チプラスは結局「緊縮政策」を呑まざるを得なかった。この為、これを「裏切りだ」と断じた人達は、同月10日に機動隊に火炎瓶を投げつける過激なデモを行った。彼等の怒りは心情的にはよく理解できるが、このデモは、結局のところ何の成果ももたらさなかったのみならず、むしろ多くの人達の反感を買った。

タイは民主主義国ではあるが、特殊な事情を抱えている。多くの腐敗を批判されている独裁的なタクシン政権も、農村と低所得者には人気が高いので、総選挙になれば反対派には勝ち目はない。この為、反対派はバンコクで大規模なデモを行って都市機能を麻痺させ、これによって政権交代を迫ったが、反対派も負けずにデモで対抗、結局は軍部が乗り出して強権で両者を解散させ、現在もまだ軍政が続いている状態だ。日本で「進歩的」と自称している人達にこの事についてのコメント(どちらの陣営を支持するか)を求めると、一様に押し黙ってしまう。

今回の日本の事例


日本では、1950年代の後半から1960年代の前半にかけて、日本中を真っ二つに分けた感のあった大規模な「反安保闘争」があり、結果としてこれが挫折した。岸首相の後を引き継いだ池田首相が所得倍増を実現して国民の支持を得た一方で、闘争の主役達は次第に暴力路線に傾斜して、次々に自滅していった。

それ以来、日本には大規模なデモはなかったが、「反原発運動」を契機に昔風のデモが小さな規模で復活した。その後はこの動きも尻すぼみになっていたが、そこへ今度は安倍政権の新安保法制が絶好のネタを提供し始めた為に、この流れは「反安保運動」へと吸収され、それまでよりはやや大きい目のデモが行われるに至った。

このデモには種々様々な人達が参加し、共産党や昔の社会党とイメージをダブらせた民主党、更には、かつての「進歩的文化人」を彷彿とさせる学者や芸能人等も参加して演説を打つなど、一定の盛り上がりを見せた。また、一時代を風靡した「ゼンガクレン」とはかなり趣を異にする特異な学生集団である「シールズ」という団体も突如現れて、世間の耳目を集めた。

しかし、このデモがどのような成果をもたらしたかといえば、殆ど何ももたらさなかったに等しい。とにかく法案は成立してしまったし、安倍首相の力は全く削がれていない。デモに参加した人達の中には色々な思いもあったのだろうが、結果的には「くたびれ損の骨折り儲け」でしかなかった。

ずっと高い数字を保っていた安倍首相に対する支持率が、新安保法制の論議が出てきたのを機に、一時は遂に過半数を割るまでになった。しかし、これが「デモに刺激された故」と考える根拠は乏しい。安倍首相に対する批判の最大のポイントは下記のようだったが、デモがあろうとなかろうとこの批判は変わらなかったと思う。

1)新法案は憲法違反と思われる。
2)新法案は日本を戦争に巻き込まれやすくしそうだ。
3)それなのに、安倍首相は、国会で十分な議論を尽くさずに、強引にこれを成立させようとしている。

安倍首相には「それではもっと時間をかけて大いに議論をしましょう。この法案が実は最も有効な『戦争防止法案』である事をよく説明したいと思います」と答えて、憲法改正問題にまで議論を拡大し、徹底的に議論する選択肢が全くなかった訳ではないし、そうすれば支持率はかなり回復したかもしれない。

しかし、当然の事ながら、彼はそうはしなかった。今よりももっと右翼的な発言をしていた彼が、先の衆院選で大勝したその時に、「これでどんな議案でも成立させられる」という自信を持った事は想像に難くない。それ故に、先の米国訪問時にも、彼はこの法律の成立を早々と米国に対してコミットしてしまったのだ。

「東シナ海や南シナ海の問題が緊迫しているので、そんな悠長な事はしていられない」という判断もあっただろう。また、「議論が長引いているうちに経済政策で躓けば、全ての計画が破綻してしまうので、そんなリスクは取れない」というのも、おそらくは本音だっただろう。しかし、こういった判断に対する評価はともかくとして、一段落してみると、内閣の支持率は既にかなり回復し、その一方で、野党第一党の民主党の凋落には全く歯止めがかかっていない。だから、今頃、彼自身は、「結果オーライだった」とほくそ笑んでいるかもしれない。

将来に生かされるべき教訓


反対派が、今回の安倍首相のやり方を批判して「民主主義は破壊された」と評しているのは、少し滑稽だ。選挙で選ばれた立法府が多数決で自分達が正しいと思う法律を成立させるのは完全に民主主義的な手法だ。この法律が憲法に違反しているかどうかを判断するのは最高裁の仕事であり、学者は自分の意見を言えるだけだ。デモに解散命令は出なかったし、別に弾圧も行われなかった。要するに、「民主主義」と「言論の自由」は、ずっと普通に機能していた。

今回のデモは、結果論から言うなら、安倍首相を利する事になったと私は思っている。山口二郎先生のように、自分だけで勝手に鳥肌を立てて、「阿部に言いたい、お前は人間じゃあない。叩っ斬ってやる」と言ってみたり「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性」と言ってみたりする「知性の一かけらも見られない人」が、デモ隊の中で指導者の様に振舞っているのを見れば、多くの「知性的な」人達は、たとえ安倍首相に若干批判的であっても、むしろ首相を擁護する側に回ってしまうだろう。

今回の事で得られた教訓は、「民主主義が成熟した国家では、一般的に言ってデモはあまり有効な手段ではなく、やるとすれば、思慮深い指導者が十分に計算して、メリットが必ずデメリットを上回るような形でやるべきだ」という事だ。

そして、この事を最も肝に銘じなければならないのは、かつての「進歩的文化人」達が振りまいた「日本だけの常識」に、今なお毒され続けているかのような「旧態依然たる大手マスコミの編集者達」であるかのような気もする。

松本 徹三