独週刊誌シュピーゲル最新号(11月19日号)は25人のレポーターを動員した「パリ同時テロ」取材の成果を28ページに当たって特集していた。欧州一の情報紙と言われる同誌はその取材力を発揮し、パリ、ブリュッセルなどテロの舞台を取材した。写真も記事もやはり迫力があった。
ここではシュピーゲル誌を称賛することが目的ではない。その特集の中のインタビュー記事で、イスラム問題専門家オリビエ・ロイ氏(Olivier Roy)が「パリ同時テロ」の最大の理由はやはりフランスの外交にある、と主張していた。具体的には、米国と共にシリア空爆を続け、反イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」を明確にしているパリの外交が「イスラム国」を敵に回したというのだ。実際、「イスラム国」も犯行直後、パリの外交を批判する犯行声明を発表している。また、テロリストたちも、「フランスがわれわれを空爆したからその報復だ」とテロ犯行現場で語っていたという証言がある。
当方は「パリ同時テロ」直後、フランス居住の少数民族アルジェリア人の対フランス関係について考えてきた。テロと歴史との関連性に関心があったからだ。フランスの北アフリカ・中東諸国の植民地化時代、アルジェリア人がフランスに逃げたり、移住してきた。フランスには500万人以上の中東出身のアラブ人が住んでいる。文字通り、欧州最大のイスラム系コミュニティだ。それだけに、フランス国内の治安状況が中東情勢の動向に敏感に影響されることは避けられないわけだ。
イスラム教徒のアルジェリア人は世界大戦ではフランス人として戦ったが、フランス人からはフランス人とは見なされなかった。貧しいアルジェリア人たちは本国フランスに出稼ぎに行った。1961年10月17日、アルジェリア民族解放戦線が主導した平和デモに対し、パリの治安部隊が鎮圧した。デモ集会に参加したアルジェリア人は橋から投げ落とされたり、銃殺された。アルジェリア出身の2世作家、レイラ・セバ―ルはその作品の中で「セーヌ川は血で赤く染まった」と描いている。フランス政府はこれまでアルジェリア虐殺事件に正式に謝罪したことがない。
アルジェリア人の中にフランス人に対して恨みを抱く人がいたとしても不思議ではない。「パリ同時テロ」の実行犯はシリア出身者が多かったが、過激なアルジェリア人が過去、テロに走ったケースもあった。フランスが抱える過去問題がテロの温床となっていることは否定できないだろう。
「外交」と「歴史問題」のどちらがテロを誘発する主因か、といった論議は余り意味がないかもしれない。両者が絡んでテロが起きると見た方がより現実的だからだ。テロによって、前者が近因で後者が遠因ということもあるし、その逆も考えられるからだ。
今回の「パリ同時テロ」はシリア問題が色濃く反映している。その意味でフランスの外交が「パリ同時テロ」を誘発したと指摘したロイ氏の意見は正しい。同時に、フランスが北アフリカ・中東地域で犯してきたさまざまな過去の蛮行を無視してテロの原因を解明はできないのではないか。
過去問題は欧州ではドイツだけではない。フランス、英国、スペインなど欧州の主要国は戦後、ナチス・ドイツの問題の影に隠れて表面化することは少なかったが、やはり清算せずに残してきた過去問題を抱えている。1916年のサイクス・ピコ協定でアラブ諸国の国境線を一方的に決定した問題だけではない。その植民地化時代の弾圧の歴史も当然含まれるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年11月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。