「パリ同時テロ」後、個人の自由の制限もやむを得ないという声が欧州で次第に高まってきている。「パリ同時テロ」実行犯が潜伏しているとして、ベルギー当局は11月21日、テロ警戒レベルを最高の4に引き上げ、地下鉄や学校などを閉鎖させる一方、商店街でも店舗を閉じるところが多かったが、大多数の国民は政府の処置を受け入れた。
17日には独ハノーバー市で予定されていたサッカー親善試合、ドイツ対オランダ戦が開始直前、爆弾が仕掛けられた危険性がある、という外国治安情報筋からの警告を受け、キャンセ ルされた。競技場にいたサッカーファンたちは警察当局の通達に対して大き な混乱もなく帰宅した。ソフト・ターゲットのテロだけに、国民の一般生活の制限も甘受しなければならないという認識がEU国民の中に強まってきているわけだ。
「パリ同時テロ」後、欧州連合(EU)内で「人の移動の自由」を定めたシェンゲン協定の再考を求める声が出てきている。EUは20日、内相・法相理事会で、欧州域外との国境監視の強化で合意したばかりだ。また、ブリュッセルの欧州議会ではテロ対策の一環として治安関係者がこれまで要求してきた飛行旅行者データの保存、共有 (独 Fluggastdatenspeicherung 、PNR)問題に対しても支持派と慎重派の間で妥協の動きが出てきている。
興味深い点は、中立国スイスではイスラム教徒に対し、「信仰の自由」の制限もやむを得ないという意見が出てきていることだ。イスラム教問題専門家の Necla Kelek 氏はノイエ・ チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)紙で「宗教の自由」の制限を要求し、「イスラム教が平和志向の宗教と実証するまで、その信仰の自由を制限すべきだ」と主張している。
「宗教の自由」は「言論の自由」、「結社の自由」などと共に基本的人権であり、憲法に明記している国がほとんどだが、その宗教、信仰の自由も制限すべきだという提案が飛び出してきたわけだ。同氏は,「イスラム教全般に対して疑っているのではないが、疑いを完全には排除できなくなった」と説明している。スイス以外では「宗教の自由」の制限を求める声はまだ聞かれない。
オーストリアのカトリック系週刊誌「フルへェ」(11月19日)は一面に「自由の弱点」というタイトルの記事を掲載した。大げさに表現すると、人類は歴史を通じて多大の犠牲を払いながら自由を獲得してきた。しかし、その自由が乱用され、悪用されるケースが増えてきた。「パリ同時テロ」を実行したテロリストたちはEU域内の自由な移動を利用し、テロリストを欧州入りさせ、武器を密輸入していたことが明らかになった。
欧米社会では個人の自由への干渉を極度に嫌い、情報管理に対しても厳しい規制があるが、「パリ同時テロ」後、EU国民の意識に変化が見えだしてきたわけだ。自由に弱点があることが明らかになったからだ。そこで「安全」を優先し、「自由」の制限もやむ得ないという考えだ。
皮肉なことは、平等、友愛と共に、自由を国のシンボルに掲げるフランスで起きた「パリ同時テロ」後、欧州全土で自由の制限論が高まってきたことだ。
オランド仏大統領はパリ同時テロ直後、「われわれはテロリストに脅迫されても自由な社会を放棄する考えはない」と宣言した。その発言は、ジャン・ジャック・ルソーの「自由を放棄する者は、人間の資格、権利を放棄することを意味する」と述べた内容に通じる。いずれにしても、「パリ同時テロ」は欧州社会が享受してきた「自由」の在り方について再考の機会を提示している。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。