金正恩氏は北の外交を殺した --- 長谷川 良

国連工業開発機関(UNIDO)第16回総会が30日から今月4日まで5日間の日程でウィーン本部で開催中だ。ウィーンの国連機関の中でも花形の国際原子力機関(IAEA)総会とは違い、閣僚級参加数は少なく、総会をフォローするジャーナリストの数も極端に少ないこともあって、華やかさに欠ける。ウィーン駐在の国連記者の間でも「UNIDOのイベントはインパクトがないから、記事にならない」と嘆く記者もいる。


▲UNIDO総会に出席した北朝鮮使節団(中央が金光燮大使)

UNIDOは、開発途上国の工業化を促進し、この分野における国連の活動を調整するための機関として1966年の国連総会決議に従い、1967年1月1日に発足したが、ここ10年余り、幹部職員の腐敗、職務の非効率などから加盟国の批判の対象となっている。中国人の李勇事務局長が2013年に就任した後も,UNIDO脱退を表明する加盟国は絶えない。カナダ、米国、オーストラリア、ニュージランド、英国、フランス、オランダ、ポルトガルなど欧米の主要国は既にUNIDOから手を引いた。欧州で脱退をまだ決定していない主要国はドイツだけだ。


▲UNIDO第16回総会風景(2015年11月30日、撮影)

ところで、当方の狙いは総会に出席する北朝鮮代表団の動きをフォローすることだ。UNIDOはウィーンに本部を置く国際機関で唯一、北朝鮮がまだ加盟している機関だ。IAEAや包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)には加盟していない。その意味で、UNIDO総会は駐オーストリア北朝鮮大使館の金光燮大使と再会できる数少ない機会だ。ちなみに、金光燮大使の夫人は、故金日成主席の2番目の妻、金聖愛夫人との間の長男、金平日氏の実妹、金敬珍夫人だ。

金大使は3カ月間の夏季休暇を終え、平壌から戻ってきたと聞いていたが、まだ確認していなかった。そこで、総会で金大使の姿をみようと、総会初日午前のセッションから待機していた。

金光燮大使は席にいた。早速、挨拶をし、ついでに写真を撮った。少し痩せた。ストレスが多いのだろう。大使の後席には2人の北外交官がいた。新顔だ。当方をみると、不快な表情を見せた。

午前の会期が終わった直後、金光燮大使と話す機会があった。金大使は背中の調子が良くないという。脊髄が悪いとは聞いていたが、かなり悪化したという。平壌とウィーンで治療を続けているという。金大使は1993年からウィーンに滞在する最長駐在大使だ。来年3月で駐在23年目に入る。
 
金大使は何か怯えているようだった。こちらが質問しても微かに笑うだけで答えない。後ろの席にいる2人の外交官を指して、「彼らに聞いてくれ」という。大使は昔から話したがらないが、一層寡黙となった。不思議なことは、自分の病気をいう時だけ元気な声で喋ったことだ。

海外駐在の北外交官は良く病気になる。本当の病気もあるが、多くは仮病だ。一般に“政治病”というやつだ。平壌から監視されている金大使にとって最も重要なことは沈黙だ。沈黙が難しい時は病気になることだ。

金大使は昔、数回、この政治病に罹った。このコラム欄でも北のオリンピック委員、張雄氏が心臓病で治療を受けていると紹介したばかりだ。海外駐在の北外交官が病気という時は、北国内の事情が悪化している時と不思議と重なる。金大使も張氏も自分が病気であることを隠そうとはせず、むしろ宣言するように大きな声で「自分は病気だ」というのだ。

聯合ニュースによれば、韓国の情報機関、国家情報院(国情院)傘下の国家安保戦略研究院は先月25日、北朝鮮で金正恩(キム・ジョンウン)体制になってから処刑された幹部が約100人に上ると明らかにした。その理由も、政策の失敗とか、批判的な言動といった理由だけではなく、金正恩氏の感情を害したといった理由から処刑された幹部も多いという。

北では党・軍幹部たちは委縮している。次は自分ではないか、といった不安の虜になっているからだ。金正恩氏に進言する度胸のある人物はいない。だから、北の外交も目下、死んだように委縮している。活発な意見の交換などは期待できず、ただ黙っている。

聯合ニュースが1日報道したところによると、北朝鮮の権力序列2位の黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍総政治局長が、20日間にわたり公の場に姿を見せていない。ひょっとしたら、同人民軍政治局長が次の番かもしれない。

朝鮮半島を取り巻く情勢は緊急を深めてきている。半島の再統一、核問題など重要な課題が山積しているが、それらの課題に取り組むべき北の外交は正恩氏の気分と感情に左右され、何もイニシャチブを発揮できない状況にある。北には本当の外交、外交官は不在だ。その大きな責任は気まぐれな金正恩氏の言動にあることは明らかだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。