「大東亜戦争は東亜を白人支配から解放するための聖戦」だとする主張する人が昔も今もいる。そうした人々には興ざめかもしれないが当時の東條陸相及び天皇の発言を紹介しておく。猪瀬直樹「空気と戦争」P66~69から
昭和16年6月23日陸軍省燃料課長の中村大佐と課員の高橋中尉が東條陸軍大臣(当時)に石油需給見通しを説明する場面。豊富な油田があるインドネシアの宗主国オランダがドイツに占領され、いわば空き家になった情況を受けて、
中村課長「昨日アメリカが石油全面輸出許可制に踏み切りました。つまり事実上の輸出禁止と考えられます」
東條陸相「うん聞いとる」
高橋中尉が数字で極めて深刻な需給見通しを説明した後、
中村課長「従いまして一刻も早くご決断を(インドネシアの油田を獲りに行くこと)」
東條陸相「泥棒せいというわけだな」 以上同書から引用
同じ時期の昭和天皇の発言
「自分としては主義として相手方(フランスとオランダ)の弱りたるに乗じ要求(日本軍の平和的進駐を認めよとの要求)を為すが如き、いわゆる火事場泥棒式のことは好まない」
つまり当時の指導者ですら日本の南方進出は泥棒に等しいと認識していたのだ。
これに関連して以下に拙文「小林よしのり『戦争論』批判」から一部転載する。青字箇所が「戦争論3」からの引用
一国からその生産に必要な物資を剥奪することは、確かに爆薬や武力を用い強硬手段に訴えて、人命をうばうのとかわらない戦争行為であります(東京裁判の弁護人ローガン弁護士による日本弁護論)。戦争論3 P233
筆者コメント
ということは、開戦直前になっても、日本は石油、鉄など戦略上の重要物資をアメリカに依存していたことを意味する。第一次大戦前後から、世界のエネルギー事情は石炭から石油への転換があり、日本は日露戦争後、海軍が仮想敵国としてきたはずのアメリカに石油を依存するようになった。そのころ満洲でも石油は発見されず(黒龍江省大慶油田の発見はいわゆる解放後)、中東の油田もまだ一部しか発見されていなかった。当時最大の産油国はソ連とアメリカであった。それにもかかわらず陸軍はソ連を、海軍はアメリカを仮想敵国とし続けた。
まともな政治的知能の持ち主なら潜在敵国に重要資源を依存しないような体制を作るか、それができなければその国との友好関係を増進し、敵対関係に終止符を打とうと努めるであろう。日本の指導者がしたことはそのいずれでもなかった。仮想敵国がなければ予算を増やす口実に苦しむ軍部の省益による。そして昭和16年アメリカの全面石油禁輸によってパニックに陥った。このような戦前の指導者のおろかしさに全く触れず、小林氏がひたすらアメリカやソ連を悪者にするのはフェアではない。
ローガン先生が、アメリカ人でありながら、わが戦争指導者を弁護してくださったことには感謝すべきかもしれないが、この論法は弁護論としては有効ではなかったと思う。 以上転載
青木亮
英語中国語翻訳者