多数化工作の重要性

日本は何故日露戦争に辛勝出来たのか?


政治においても戦争においても、古来老獪な政治家や名将と呼ばれる人達は、周囲の勢力を出来るだけ多く味方につける「多数派工作」に心を砕いていた。この点での近年における最大の成功者は、抗仏戦争に勝利してベトナムに独立をもたらし、抗米戦争にも勝利して南北を統一、中越戦争でも国土を守ったホチーミンではないかと思う。逆に失敗者は、イラクのフセイン、リビアのカダフィ、等々、枚挙に限りない。

さて、かつて弱小国だった日本が日露戦争に辛勝出来た理由としては、将兵の士気が高かった事もさることながら、
1)自らの思惑で「日英同盟」を遵守した英国の助力
2)高橋是清や金子堅太郎といった人達の奔走で米英の金融業界を巻き込めた事
3)時を同じくしてロシア革命の機が熟しつつあった事
等が大きい。

即ち、この様な要因が幸いして、当時の世界の流れの中で、辛うじて「多数派の一員」としての位置を占める事が出来たからこそ、日本は生き残れたのだ。

当時の日本は、18億円を越える戦費のうち、8億円程度を外債に頼らざるを得なかったわけだが、ニューヨークにいたユダヤ系ドイツ人のジェイコブ・シフの「したたかな計算に基づく決断と協力」がなければ、この起債は成功すべくもなく、そうなれば、多くのBattleに完勝した日本も、最終的にはWarに敗れ、その時点で国は破産し、講和を斡旋してくれる国もなかっただろう。実に際どい綱渡りだったと言える。

その後の日本が転落の道を辿った理由


ところが、こうして首の皮一枚で破産を免れた日本には、その事を理解できる人が少なく、マスコミは国民を啓蒙するどころか「辛うじて日本を救った講和条約」を売国行為と罵り、間違った方向に国民感情を煽った。
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その為、激昂した国民は日比谷公園で暴れる=写真、Wikipediaより=などして政府に圧力をかけ、軍の若手将校は「腰抜けの政治家や経済人を除去しなければ、日露戦争で流された血は購えない」と考えて、「皇國史観に支えられた精神主義」に賭け、かくして日本は世界から孤立した。つまり常識中の常識である「多数派工作」の必要性を、この時から日本は忘れてしまったのだ。

私の見るところ、その中でも最大の問題は「皇国史観」にあったと思っている。つまり、こういうものを吹き込まれた若者達は戦場では自己を犠牲にして勇敢に戦ってくれるが、国際社会ではこういう「選民思想に基づく自己中心的な史観」はまず絶対に理解して貰えないから、結局は自らを孤立に追いやるしか道がなくなってしまうのだ。

また、精神主義に陶酔してしまった人達は「自分達の正義」を全ての人達に押し付ける傾向があるので、社会全体が次第にバランス感覚を失ってしまう事態も招きやすい。(ちなみに、これが、現在私が「首相の靖国公式参拝」に反対している最大の理由だ。安倍首相の安全保障戦略は理性的なものだが、「過去の正当化」に対する思い入れは多分に情緒的なものだ。)

過去の日本が持っていた現実的な二つの選択肢


当時の日本には、良いか悪いかの道義的評価は別とし、大きく分ければ下記の二つの選択肢があった。

1)アジアの一員として蒋介石の中華民国の建設を助け、共同で欧米の植民地化政策にささやかな抵抗を行う。(具体的には先ずは蒋介石の北伐を助ける。)
2)米英と組んで中国を更に蚕食する。(先ずは米国の鉄道王ハリマンと組んで満州のみならず北支にも鉄道を敷設し、その一方で満州のどこかにユダヤ人の国を建設する。)

しかし、日本は、米国に敵愾心を抱く一方で、蒋介石と中国の民衆を蔑視し、二正面作戦をとった。「多数派工作」どころか、感情に溺れて理性を全く失ってしまったかの様に、「唯我独尊」の世界に入り込んでしまったのだ。具体的には、日本は「第一次世界大戦の混乱に乗じて中国市場の独占を狙う」かのような露骨な行動に走り、「米英が蒋介石側に立ってそれに抵抗する」という図式を成立させてしまった。

勿論「だからこそ、日英同盟の後を継ぐ『新しい多数派工作』として『日独伊三国同盟』を結んだのだ」という人はいるだろうが、海軍の存立を支える石油の殆どを米国からの輸入に頼らざるを得ない「海洋国の日本」にとっては、それは「最悪の多数派工作」だったと言わざるを得ない。この誤った選択がもたらした必然的な結果は歴史が示す通りである。

現在の日本が持つ安全保障上の選択肢


それでは、このような歴史の教訓をなぞらえながら、現在の日本の安全保障のあり方を考えてみよう。選択肢は大きく分けて下記の二つに分かれると思う。両者の乖離はかなり大きいが、その中間はないと覚悟すべきだろう。(もし「その中間がある」という人がいるのなら、是非ともその考えを聞きたい。)

1)「日米同盟」を強化する。即ち、米国の負担を軽減する見返りとして、日本の安全保障への米国のより確実なコミットメントを得るという事だ。(これにより「常に米国と一体である」という立場を誇示し、核攻撃に対するものを含めた「抑止力」を得る。)

2)米国との同盟関係には深入りせず、万事に是々非々で対処出来る様に、各勢力との等距離外交に徹する。特に米中の対立関係の中では常に中間的な立ち位置に止まり、中国を刺戟する可能性のある一切の言動を注意深く避ける。

米国にすれば、世界最強の軍事プレゼンスを今後ともに維持していく為には、日本の経済力と科学技術能力は極めて魅力的であるし、将来最大のライバルとなるであろう事がほぼ確実な中国に対抗する為に、その地理的条件も極めて貴重であるから、1)を望むに決まっている。

日本にとっても、世界最強の軍事力に守られる事は最も有効な安全保障策であるのに間違いなく、現実問題として中国と対等に付き合うには、それ以外に方法がない様にも思える。

尤も、未だに世界の警察としての役割を期待される事の多い米国との関係が深くなりすぎると、世界中の紛争に巻き込まれるリスクが増大する上に、財政負担も次第に重くなる可能性もあるので、そう簡単には決められない。

しかし、その一方で、もし日本が2)の選択肢を取ると、「尖閣諸島近辺での中国との偶発戦争の危機が少なくなる」「世界中で米国に敵対している勢力から敵視されるのを避けられる」等のメリットはあるものの、それによって米国が「極東へのコミットメントを薄める」決断をした場合には、超大国中国に対する日本の立場は極めて弱くなる。

こうなると、極東における力の均衡は破れ、結局のところ日本は、軍事的にも経済的にも、「何事も中国の意向に従わざるを得ない」状況へと、遠からず追い込まれざるを得なくなるだろうからである。

この二者択一の決断は、そんなに容易なものではないが、ここで更に考慮に入れるべき決定的に重要な事実は、「第二次世界大戦前の状況と異なり、現時点では日本と米国との間には利益相反が殆どないのに対し、地理的に近く、経済面でも競合関係になる可能性が多い日本と中国の間では、利益相反が生じやすい」という事である。

これこそが、「地政学」が我々に教えている原則であり、多くの歴史的な事実もこれを裏付けている。遅い時点になってこれに気付き、あらためて中国に対抗する力を養おうとしても、その時にはもはや手遅れであるから、我々は現時点で既にこの事を十分に噛み締めておかねばならない。

流れは既に決まっている


最終的に上記の二つの選択肢のどちらが良いかは、上記の全てを念頭に入れて、丁寧に得失を計算していけば自ずと明らかになるだろう。ここでは私は敢えて自らの結論については言及しない事にするが、先の総選挙での自民党の大勝を見ると、既に流れは決まったと言ってもよいだろうと思っている。あとは、上記でも少し触れた「1)の選択肢にまつわる不安要因」をどのように抑え込んでいくかという技術論である。

かつての小鳩政権は、本気で「米中を手玉に取れる」と考えた節があり、米国抜きの「東アジア経済圏」というものも本気で構想していた様だが、これは「米国と中国の双方の恐ろしさ(覇権主義的な体質)」を過小評価したが故であると私は思っている。

もし小鳩政権がもっと長続きして、本気でこれを推し進めようとしていれば、日本の世論は真っ二つに割れただろうが、現在多くの日本人が、中国について「共産党一党支配で何をするかわからない」という不安感を持っている事を考えれば、結局は「緻密な得失の計算」が流れを決め、小鳩政権は国民の大多数の信任を失っていただろうと思う。

中国と韓国にとっては「天使のような存在」だった小鳩政権が倒れて、野田政権が誕生したあたりから、彼等は失望を隠せなくなっていた様だが、安倍政権になると、彼等の危機感は桁違いに大きくなった。そこで彼等は、何とかして安倍政権を失脚させようとして、色々と画策したが、彼等が安倍政権に厳しく接すれば接するほど、日本の世論は彼らの思惑とは逆に、反中・嫌韓へと傾斜していった。

本質的に中国や韓国のシンパであり、彼等をある意味でミスリードしてきた日本の左翼勢力も、安倍首相をヒットラーになぞらえてみたり、「戦場に若者達を送り出したがっている大悪人」だと言い立ててみたりする「マンガチックな戦略」をとった事によって、結局は多くの可能性を失ったかのように思える。現状を総合的に見ると、日本がこれから2)の選択肢に戻る可能性は極めて小さいと考える。