民主主義を守りたいなら反安倍より反中国が大事

中国を本当に知るには「経済」「国家」の視点だけでなく「権力闘争」を見る必要があるんじゃないかということに、福島香織さんの本を読んでいたら凄く痛感した・・・という記事の続きです。前回はこちら。

最近アメリカが中国に対して強硬姿勢に出られるようになったのも、そこからの玉突き的影響で日韓関係や日中関係が改善の兆しを見せているのも、この「中国国内の権力闘争」という視点から見るとスッキリと一本の因果に見えてくるわけです。

その因果をまとめると以下の図のようになります。

習近平とオバマサイズ調整版

今回は、じゃあこれを踏まえて我々は中国とどう付き合っていくべきなのか?について考えてみます。

3・「意識高くない系」の他人とのつきあい方について

これは色んなところで指摘されていますが、2013年に習近平が政権を取った時、かなり意識的に「日米関係の間を裂き、米国の影響力を東アジアから排除し、東アジアのことは東アジアが(つまり俺たち中国が)仕切る」政策を推し進めようとしたようです。

いわゆる「新型大国関係」というキャッチフレーズがありますが、これは「アジアのことはアジアが(つまり俺たち中国が)仕切るからアメリカは口出しすんな」をマイルドに言い換えた表現で、日本国内の「アメリカ嫌い」の人たちは好意的に解釈する人もいたようですが、実際に中国に軍事的に圧迫されている東南アジアの人たちとかは「マジでシャレにならん」という危機感を抱く結果になりました。

日本における安倍政権の日米関係重視の姿勢は、国内的にかなり不満を抱いている層もいるわけですが、彼の行動によって習近平の「日米離間の策」が失敗し、むしろ日米関係は強化され、アメリカは「新型大国関係」というあり方を明確に拒否する姿勢を示せる情勢になったことは、もっと高く評価しても良いように思います。

確かに安倍政権は”多少”強引なところがありますが、 もし、「アメリカが手を引いて中国が東アジアを仕切る」ことになったら・・・そこで実現する世界は「政権に圧力をかけられたとテレビで騒いで注目を集める」なんてことが可能なレベルの「政府の圧力」じゃないですからね。

ネットでその人の名前を検索するとハネつけられて何も情報が出てこなくなったり、突然逮捕されてよくわからない裁判にかけられて社会的に抹殺されたり、それどころかそういうヤツはいつの間にかよくわからない理由で行方不明になったり、「急死、病因は不明」とかいうニュースが流れたりしますよ!

いやいや、別に安倍政権を批判するなというわけではないんですが(我々は言論の自由の国に住んでいるので!)、こういうマクロに見た時の影響の連鎖を無視して、安倍政権の取った「手続きの瑕疵」だけを鬼の首を取ったように責めまくってると、なんか書類の形式だけにウルサいお役所の嫌な係官みたいな印象になってきて、だんだん「民心」が離れて行っちゃうから気をつけたほうがいいんじゃないかということです。

「この問題」について、アンチ安倍の人もちゃんと自分ごととして取り組んでくれないと、安倍政権側はかなり強硬になっても何とかポジションを守らざるを得なくなりますからね。

「民主主義を守る戦い」というのは、勿論役所の窓口で書類の不備を指摘しまくるような戦いも大事かもしれませんが、今まさに物凄い抑圧を広げようとする隣国に対してそれを抑止しようと立ち向かうことも含まれているはずです。

「対中国封じ込め」的な問題に対して一丸となって迎えるなら、良くない抑圧だって辞めようか・・・ともなれますし、日本が米軍と過剰に一体化することで良くない巻き込まれ方をすることをいかに防ぐか・・・だって知恵を出し合える情勢になるはずです。民主主義ってなんだ?これだ!ですよね。

 ・・・ともあれ、この記事全体で一番大事なことをまとめると、ここまで述べてきたように、

「中国内部における権力闘争」→「米中関係の潮目の変化」

があって、米国側から中国に対して多少厳し目の態度が出るようになってくると、

むしろ日中・日韓関係は改善に向かっている

ことに我々は注目するべきです。1行にまとめて書くと、

「中国内部における権力闘争」→「米中関係の潮目の変化」→「日中・日韓関係の改善」

こういう因果関係です。

数々の報道において、習近平政権は日本との関係改善を模索しているという話が出てきていますし、そうなると中国政府はあらゆるメディアを総動員して「あんま日本のこと批判すんな」という統制を始めますから、それを受け取る民衆側も「ああ、あんま日本のこと批判しないモードになったんやな今度は」となります。

今回の日韓関係の「最終的かつ不可逆な手打ち」も、明らかにこの流れの中にあることでしょう。

中国が「国際秩序を根底から覆してやるぜ!テメエら全員俺サマの言うことを聞けぇ!」ってなってる時は韓国は何千年の習い性みたいなのがあってそっちにどんどん吸い寄せられることになる。そうすると中国先生が日本と仲良くすんなって言ってるし、どこまでも非妥協的に日本を批判してやろう・・・となる。こういう「構造」がある時にどんだけ良識的な対話とかを頑張っても無理です。

一方で、中国が「国際秩序転覆どころちゃうでこれ、国内問題だけでかなりヤバくなってきてるんやけど・・・」となると、中国サマ頼りに日本や米国にケンカ売ってた韓国としては「親分そりゃないっスよ」ということになって、いつまでも全部日本が悪いってことにしてちゃいかんよな・・・という情勢になる。

「そういう状況になることで、はじめてイーブンに友好的関係を結べるようになる」

ってことはあるんですよね。これって、なんか「意識高いインテリ家庭」に育つとなかなか理解できない人間関係のアヤなんですけど。

ちょっと連想するんで書くんですが、スラムダンクという漫画に、試合中にぶつかったことを妙にペコペコ謝る敵選手がいて、それに対して主人公の桜木花道が、

「ぬ、謝るなよ、勝負じゃねえか」

というシーンがあって凄く印象的でした。私のように良識的で温和なインテリ家庭で育つと、なかなかこういう「爽やかな関係」を持てない。小学校の教室の友人関係でもなかなかこの「ノリ」が理解できなくて苦労した記憶があります。

あなたも、そういう人かもしれない。

むしろ、相手にちょっとでもぶつかってしまうと物凄い悪いことをした気分になるし、相手が言ってくることは全部聞かなくちゃいけないんじゃないかという気持ちになってしまうし、言い返したりしたら悪いなあ・・・となって、嫌なことでも飲み込んでしまったりする。そうしてるうちに相手の要求がどんどんエスカレートして、突然許容範囲を超えて「キレ」てしまったりする。あるいは自殺してしまったり。

この状況を「要求される側」から見ると相手は物凄い極悪人みたいな感じですけど、しかしこれは「要求する側」からすると、「取れるだけ取ってやれ!的に強欲に要求している」んじゃなくて、実は「要求される側」が何も嫌だという意思表示をしないから、「え?そんな嫌やったん?それやったらそうと言ってくれたらよかったのに!」ということも多かったりします。

あえて言うなら、「意識高くない系」同士の「意識高くない系に対するあるべきコミュニケーション作法」というのがあるんだということなんですよね。

ちょっとだけ最近はやってなかった自己紹介をすると、私は大学卒業後、マッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのですが、その「グローバリズム風に啓蒙的過ぎる仕切り方」と「”右傾化”といったような単語で一概に否定されてしまうような人々の感情」との間のギャップをなんとかしないといけないという思いから、「その両者をシナジーする一貫した戦略」について一貫して模索を続けてきました。

そのプロセスの中では、その「社会的にキレイな形」の外側にも実際に入って行かねばならないという思いから、物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかは話すと長くなるので詳細はコチラをどうぞ。)

で、その「ブラックな訪問販売会社」にいた時に、周りにいるめちゃくちゃ「意識高くない系」のヤンキー社員に凄い紳士的な態度で接してたらかなり「イジメ」っぽいことしてきたんですよね。

最初は、「右の頬を打たれたら左の頬を」の精神で接してたんですけど、なんかエスカレートしてくるし、そのうち私の携帯を盗んで登録してある女の子の名前の番号に片端からイタ電したりして、それでほんと「やっていいことと悪いことあるやろ!」みたいなことでキレてみせたことがあるんですよ。

ちょっとケンカみたいになって、言い合いになって・・・で、あーあ、この会社にいるうちぐらいは仲良く普通に波風立たずにやっていきたかったのになあ・・・と思ってたんですけど、次の日から妙に「仲間扱い」されるようになったんですよね。

「倉本くん、この前はゴメン」

とかトイレで小の用を足してる時にとなりに来てボソッと言って、辛気臭い話はそこで終わり。後はその話は一切しないという暗黙の了解!みたいな感じ。

小学生男子か!って感じですが、私は小学生男子のころこんなコミュニケーションは苦手な人間だったから逆に衝撃的でした。

こういう「意識高くない系ならではのコミュニケーション」ってのがあるんだな!という体験だった。

意地悪くいうと、「こっちからちゃんと拒否しないと舐められて敵はつけあがるんだ!」って話かもしれませんが、でも実際はそれほど「極悪」な感じのことじゃないんですよねこれは。

「相手側からちゃんとフィードバックが帰ってこないと、人間と話してる気がしない」

みたいな感じなんですよ彼らは。

相手が文句を言い返してくるところまでこっちから押し込んでみないと、「ちゃんと人間関係ができた気になれない」というような感じ

なんですね。

相手を慮って気を使って要求してみないのは「水臭い」というぐらいの感覚

なんですよ。

だから、押して来たらこっちからもちゃんとガッと押し返してあげて、「お、やるやん」「ふん、押してくんなバーカ」的に付き合ってあげる必要がある。

だから、今後国際社会は、中国に対して「対中国包囲網」的なものは、ヘンな嘘くさいお題目にごまかされずにちゃんとかけていくべきなんですよね。

で、物凄く重要なことを言いますが、これは、習近平サンにとっても本質的にはありがたいことなんですよ。

と、言うのも、「国際社会という敵」がガンと強い態度で出てきたら、国内的にも「多少妥協してもまあしゃあないな」というテイになるからなんですよね。

もし「国際社会という敵」が弱腰だと、習近平側としてもそこで「妥協」したら国内から「弱腰!」と批判されて失脚する可能性だってある。失脚したら命も危ないぐらいの状況に彼はいるわけですからね。

ヒトラーが、領土拡大を始める最初期のミュンヘン会談の時点で列強が強い態度に出ていれば、あの時期はまだ軍備が不十分だったし野望を諦めざるを得なかっただろうとヒトラー自身が言ってる話は有名ですけど。

万引き犯がたまに「万引きしやすいとこに商品置いておくのが悪い!」って言う時ありますけど、それと同じで「国際社会の秩序を転覆出来そう」という「シグナル」が中国国内に届いてると、「習近平はなんでやらないんだ」という話になってしまうんですよね。

むしろ、「習近平物語」の中で、

「そりゃあこんな強敵が一丸となって対抗してきたんなら妥協もしゃあないよな。でも俺ら結構頑張ったやん?上出来やで!」

と思える状況が作れるかどうかが重要。 ある意味で、それを本質的に最も望んでいるのは「習近平氏本人と中国人」だったりするはずです。

その上で、中国国内の、「俺らの方が国際社会と上手くやれるぜ」というアピールをする勢力と、ちゃんと話し合って関係を結んでいくことです。

日本のネット右翼サン的には、中国がどこかで派手に転んで爆発炎上したりしたら「ざまぁwwww」的に爽快かもしれませんが、そんなことになったらその後の混乱はハッキリ言って彼らだけの問題じゃありません。東アジア全体どころか、世界全体、人類全体を巻き込む惨事となるでしょう。

たまに日本にいる、アメリカ憎し、日本政府憎しゆえに中国を物凄い聖人君子みたいに扱って煽りまくる人も困りますが、逆に全く根底的にどうしようもない極悪人扱いして相手を正しく観察しない人も困ります。

すでに日本の倍以上の巨大な経済となって力を持った十数億人がすぐそこに厳然としているわけですから、「ぶっつぶれちまえ」で終われる話ではない。

むしろ、習近平と、アンチ習近平派と、アメリカと・・・それぞれの思惑をちゃんと見た上で、「ちゃんと落とし所をみんなで探してやる姿勢」が、今後物凄く大事になってくるでしょう。

そういう視点の入り口として、福島さんの本、凄い良かったので、ぜひどうぞ。

また、そうやって「中国(もっと言えばイスラム国などを含む現代の秩序の外側にいる勢力)」と、「透明化しすぎるグローバリズム」が押し合いへし合いをする中でこそ、人類は本当に「現地現物の事情までちゃんと行き届いた、しかしちゃんと人類で共有できる普遍性あるシステム」を作り上げることができるでしょう。

イスラム国の支配地域にいる多くの人だって、中国人だって、今の「良識的な国際秩序」を全拒否にしたいはほとんどいないはずです。

これは今作ってる本の挿絵ですが、グローバルなシステムというのはカレーのルゥみたいなもので、ちゃんと丁寧に溶かさずゴソッと入れちゃうと、塊のまま食べることになって大変なことになります。その「反発」こそが中国の強硬姿勢やイスラム国なのだと思いましょう。

book06_ルゥ溶け残り

でも彼らはカレーを食べたくないわけじゃない。単なる野菜と肉の煮物にしたいわけじゃない。ちゃんと溶けてなくてゴソッとルゥが残ってたりするから嫌だと言ってるわけです。

押し合いへし合いの中で、ちゃんと「落とし所」を探っていけば、丁寧にルゥを溶かした美味しいカレーを人類が共有できるようになります。

book05_美味しいカレー

その時には、

「あの時ほんまお前ムチャクチャするヤツやなと思って見放しかけたわ!」

「まあ、そんな昔のこといつまでも言うなって!」

的な友好関係が、やっと本当に結べる社会になるでしょう。

現代のあらゆる問題は、それぐらいのレベルで「メタ」に解釈しなおす必要があります。

そうやって「あらゆる対立を止揚していく」日本の可能性と、それをどう発展に結びつけるかという言論活動を私はやってきていますので、

「A経済」 の話としては、

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「B政治」 の話としては、

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そしてCの「それを超えたナマの世界」の話は、次に出る本を期待してお待ちください。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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