議員同士で不倫・出産も…政治家人生は破天荒過ぎ! --- 選挙ドットコム

2015年は政治の中で様々な事件が起き、激動の1年でした。
多くの政治家が未来の日本や世界ために政治を動かしていた一方で、今の日本や世界の政治を形作ってきた方々がこの世を去ることになりました。

今回は、今年亡くなられた偉大な方々を振り返りつつ、来年からも引き続き偉大な政治家が活躍することを願おうと思います。

日本初の女性政治家、園田天光光


園田天光光(そのだ てんこうこう)氏は、1946年の第22回衆議院議員総選挙で当選した女性初の議員の一人です。


▲波乱万丈の生涯を送った園田氏(Wikipedia、アゴラ編集部)

・・・名前すごいですね。しかも本名です。
他の姉妹の名前も強烈で、
「天星丸」(てんほしまる、次女)
「天飛人」(あまひと、三女)

だそうです。現代で言うところのキラキラネームですね。

天光光氏は戦後の餓死者の現状を目の当たりにしたことで、政治家の道を志します。初当選は1946年、なんと28歳の若さで衆議院議員に!

当時所属していた政党は「餓死防衛同盟」ですから、当時の時代背景が伺えます。
その後、国会議員として活動を重ねるとともに、なんと妻子ある国会議員と不倫関係に。

当初は虚偽報道と否定していたものの、まさかの妊娠で不倫が明らかになります。
そのまま、周囲の反対を押し切り、結婚・出産します。

・・・!

現職の国会議員同士が不倫して、そのまま結婚と出産?
天光光さん、名前からはじまり、その人生、ロック過ぎます。

そして、本年1月29日に多臓器不全で他界されました。96歳のことでした。

日本初の女性政治家として28歳の若さで初当選、その後幾多のドラマを重ね、96歳まで長生きされた天光光さん。高校生のときの歴史の教科書でお名前を拝見した際は、「名前すごい覚えやすくて助かる」程度にしか考えていませんでしたが、今回改めてその人生を調べたところ、ぜひ一度お会いしてみたかったな、と思いました。

元祖癒し系政治家、塩爺こと塩川正十郎氏


2001年の自民党総裁選挙での小泉純一郎の選対本部長として、小泉内閣の成立に尽力し、その後、80歳近い高齢にも関わらず財務大臣として、小泉構造改革を進めた塩川正十郎(「せいじゅうろう」ではなく、「まさじゅうろう」です)は、「塩爺」と呼ばれ、世間から愛されていた政治家の一人です。

大阪府に生まれた塩川氏は、慶応義塾大学経済学部に進学。戦争時は学徒出陣で出征しましたが、終戦後には会社設立や市役所の助役を務めました。

1967年の衆議院総選挙で当選するとその後は、内閣官房副長官・自民党税調会長・運輸大臣・文部大臣・内閣官房長官・自治大臣・国家公安委員会委員長・自民党総務会長など多くの大臣や党の要職を務めました。The大物政治家ですね。

その後、80歳近い高齢になりつつも政治家を続けることには批判があったそうですが、時の小泉首相からは、

「多くを語らなくても常に私の真意を直感的に正確に分かってくれる塩川先生の存在が、その後の私の政治運営に大きな力になったことは多くの人が認めるところであります。(中略)塩川先生は小泉内閣の重しであり、小泉の精神安定剤と言われたのも、むべなるかなの感があります。」

と言われたほどでした。

「癒し系大臣」や「塩爺」と愛された政治家ですが、若い時には血気盛んで「瞬間湯沸し器」とも呼ばれたそうです。

へー!意外。昭和63年生まれの僕には想像も付きませんでした。
豪快でありながら愛された政治家、塩川正十郎氏は、本年9月19日に肺炎で他界されました。

自民党最大派閥、清和会を率いた大物、町村信孝氏


文部科学大臣、外務大臣、内閣官房長官、衆議院議長などを歴任したスーパー大物政治家です。ちなみに、子どもの頃から体格に恵まれ、小学4年生の時点で身長1m60cm・体重60kgもあったそうです。東大在学中は、学生闘争の時代。東大紛争の解決を進め、当時の東大総長からは、

「町村君がいなければ紛争の円満な解決は困難だったろう」

と言われるほどのリーダー性があったと言われています。

東大卒業後は通商産業省へ入省。親族に政治家を持ち、東大から官僚と、まさにエリート街道まっしぐら。羨ましい!

官僚から国会議員に転身する際には、意外にも父親から反対を受け、妻にも「3回落選するまでは付き合ってくれ!」と懇願し、出馬したそうです。

衆議院議員としては、最大派閥である清和会(通称:町村派)を率い、自分の派閥に所属していた安倍晋三氏を首相にするなど、自民党内で大きな影響を持っていました。

晩年の2012年には、自由民主党総裁選挙に立候補しましたが、体調不良で入院し、脳梗塞が見つかります。2014年に衆議院議長に就任しましたが、2015年に脳梗塞の再発などの体調面を理由に退任し、そのまま2015年6月1日に脳梗塞により他界しました。

現職の議員のまま亡くなる・・・というのはとても衝撃的でした。なお、死因の「脳梗塞」は、田中角栄元総理や小渕恵三元総理らも患ったものでした。

本年度亡くなられた偉大な政治家はもっと大勢いらっしゃるでしょう。代表的な3名のみを、紹介させていただきました。過去の偉大な政治家たちに敬意を払いながら、将来を作る若い政治家たちにも期待していきます。

それにしても園田天光光さん、会ってみたかったなー。

増沢諒:食べる政治代表
1988年長野市出身。早稲田大学卒業後、ITベンチャーでの勤務を経て、現在、東工大大学院修士課程。研究テーマは「ネットと政治」。ネット選挙解禁を目指す活動「One Voice Campaign」をはじめとし、様々な啓蒙活動を展開。2014年マニフェスト大賞受賞。
Twitter:mojamoja_megane
WEBサイト:http://taberuseiji.com/


編集部より:この記事は、選挙ドットコム 2015年12月29日の記事『「餓死亡命同盟」から出馬当選、国会議員同士で不倫・出産…2015年に逝去した政治家たちの人生が破天荒過ぎる!』を転載させていただきました(タイトル改稿)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は選挙ドットコムをご覧ください。