おときた駿が離党。元気会とのご縁がなくなりました

長坂 尚登

無所属の僕のブログにしては珍しく、とても政治的(というより政局的)な記事なので、ご興味ある方だけ読んでいただければと存じます。

学生時代から10年来の友人である、今は都議会議員のおときた駿が、所属政党である「日本を元気にする会(元気会)」に離党届を提出しました。

僕は、元気会に所属はしていないものの、先の統一地方選にあたり、おときたの「元気会の推薦をとってもらえば、自分もおおっぴらに応援しやくなる」という薦めで推薦をいただいていました。

しかし、おときたが離党届を提出した今、元気会代表の松田公太さんをはじめ、今、元気会に所属している方々とのつながりがない僕としては、実質的に元気会とのご縁がなくなりました。

個人的には、これで今夏の参議院選挙(そして、同時選挙の可能性が高まる衆議院選挙)にも、何のしがらみもなくなるので、ますます自由になるなー、とワクワクしているところです。

当時、元気会の推薦をいただくにあたり、僕は下記3テーマで論文(各1200字)を提出しました。

  • 論文1・・・政治家を志す理由および、元気会を選ぶ理由を述べよ
  • 論文2・・・日本の民主主義の現状について思うところを述べよ
  • 論文3・・・議員になって取り組みたい課題と解決策について述べよ

このうち、論文1の「元気会を選ぶ理由」部分について抜粋します。

さて、御会を選ぶ理由。 これはひとえに、そこに音喜多駿がいるからです。 音喜多は私の恩人です。

彼との出会いはお互い大学4年のとき。 私が、豊橋の伝統である手筒花火を母校の学園祭で上げたときのことです。 当時、母校の委員が手薄で、警備に必要な人員を割けないという窮地でした。 そこで私はSNSで助けを求めました。 それを見た共通の友人を仲立ちに、音喜多が中心となり、当日、二十数名を引き連れて、母校に乗り込んで来ました。 彼とその仲間たちのお陰で事故なく、東京での手筒花火を終えることができました。 彼がいなければ、企画は中止になっていました。
 
そんな彼との付き合いももう10年になります。 私が彼を尊敬していることは、自分で決めたことを、本当に最後までやりぬくということです。 私も最近になって、ようやく、地味なことの継続がいかに大変で、しかし重要であり、そしてそれが成果への最短であることがわかり始めました。 例えば、ブログ。 今、彼は非常に忙しい日々にいます。 それでも、毎日毎日、欠かすことなく更新する。 私自身もブログを始めてみて、この一見簡単そうなことがどれだけ大変かを痛感しています。 ブログだけでなく、趣味のダンスや友人との食事でも、どんなに忙しくても決めたことをしっかりこなす。 そんな彼を、私は尊敬の念と、そして同じ年ならではの「こいつには負けられん」という気持ちで見ています。
 
その彼が御会を信ずる、ただそれだけで、私にとっては十分に御会より推薦をいただきたい理由になります。

今後の音喜多駿と、ついでに長坂尚登にも乞うご期待!

では!


愛知豊橋・長坂なおと のblog より

プロフィール
長坂尚登|1983年愛知県豊橋市生まれ。
地元の時習館高校卒業後、東京大進学、コンサルティング会社で働き、10年間東京で過ごす。2012年にUターンし、商店街マネージャーとして、豊橋のまちなかを奔走。2013年から内閣官房より地域活性化伝道師を拝命。
2015年商店街マネージャーを退職し、豊橋市議に立候補。新人トップ当選で、現職(無所属)フェイスブックページ