北アフリカ・中東から殺到する難民・移民の受け入れを積極的に支持し、受け入れ最上限の設定にはメルケル独首相と同様強く拒否してきたオーストリアのファイマン首相にとって、1月20日は苦渋の日となったはずだ。
▲オーストリア社会民主党党首のファイマン首相(社民党HPから)
同国の連邦首相府で20日、連邦、州、自治体の難民政策の見直しに関する会議が開催された。そこでオーストリアは今年、3万7500人の難民申請者を受け入れると決定した。参考までに、17年は3万5000人、18年3万人、そして19年は2万5000人と最上限を下降設定している。すなわち、今後4年間、合計12万7500人の難民を受け入れることにしたわけだ。同国は昨年、約9万人の難民を受け入れている。
看過してはならない事実は、難民数といっても、あくまで難民(申請者)数を意味し、難民(認知者)数ではない。申請が却下されれば、送還される。家族を呼ぶ権利も一定の期間のチェックがあるなど、難民審査が厳しくなる。要するに、「難民収容国オーストリアのイメージを如何に非魅力的とするか」がその主要な狙いだ。
ファイマン首相にとって最上限はタブーだった。だから今回も首相は最上限という言葉こそ使用しなかったが、受け入れ数の設定に同意したわけだ。人道主義的な難民政策をプロパガンダしてきたファイマン首相にとって、明らかに政治的敗北を意味する。
会議後、ヨハナ・ミクルライトナー内相は、「今年3万7500人の受け入れ最上限は夏前に到達してしまう数字だ」と述べ、3万7500人の数字が非現実的だと述べている。
難民サミット会議では国境線を強化し、難民の所持品チェック、写真・指紋摂取のほか、通訳者による身元確認審査などが実施される。そのほか、パスポートを所持していない難民は即、送還するなどの処置が決まった。
社民党と連合政権に参加している保守派・国民党にとって、今回の決定は政治的得点となる。参考までに紹介すると、最上限に反対してきたのは与党「社民党」、野党「緑の党」だ、一方、最上限の設定を要求してきた政党は国民党のほか野党第1党の極右政党「自由党」だ。
昨年100万人の難民を受け入れたドイツのメルケル首相は、難民受入れ最上限設定に強く反対してきた。隣国のファイマン首相が国内の圧力に屈し、最上限設定を受け入れたが、メルケル首相は自身の信念を変える考えのないことを重ねて強調している。
北欧スウェーデン、デンマークは難民受け入れ制限に乗り出している。トルコ、ギリシャからバルカン・ルートで欧州を目指す難民たちは、マケドニア、ブルガリア、セルビア、スロベニアなどが次々と国境線を閉じようとしていることを肌で感じているはずだ。欧州が完全に閉鎖される前にドイツ・オーストリアに到達しようとする難民たちが雪の降る寒い道を子供連れで歩く姿が欧州メディアでも連日、報じられている。少なくとも、オーストリア入りを目指す難民は3万7501人目の難民となってはならないのだ。
難民受入れに対する欧州国民の姿勢は変わってきている。人道的受入れ歓迎から、厳しい監視と制限を求める声が高まっている。その主因は、難民数が収容能力を上回っているという外的理由とともに、独ケルン市の大晦日の難民申請者による集団婦女暴行事件、「パリ同時テロ」事件の実行犯が難民を装って欧州入りしていたことが判明するなど、難民に対するイメージが急速にネガティブとなってきているからだ。
冷戦時代から「難民収容国家」の称号を受けてきたアルプスの小国・オーストリアが難民受入れ最上限を設定したことは、欧州の難民政策に大きな影響を与えることは必至だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。