18歳以上に選挙権を与える改正公職選挙法が昨年6月に成立したことを受けて、今夏の参議院選挙では18、19歳の未成年者が初めて投票を行うこととなります。
今回の選挙権年齢引き下げには、主に2つの背景がありました。一つは、海外との整合性。現在、191の国・地域の内、9割近くが日本の衆議院にあたる下院の選挙年齢を「18歳以上」と定めており、欧州などでは更なる引き下げの動きも活発化しています。
もう一つの背景は、若者の低投票率がもたらしている政策の歪みです。2014年の衆院選の年代別投票率を見ると、20歳代の投票率が32.58%だったのに対し、60歳代は68.28%と2倍以上の差がありました。この時の人口推計を見ると20歳代は約1300万人、一方60歳代は約1800万人と1.4倍の差があり、これらを計算すると投票数は、20歳代が約420万票、60歳代が約1,240万票となり、その差はなんと約3倍にもなっているのです。
今回の補正予算に、自民党内からもバラマキではないかという批判を受けながら「低所得の年金受給者への3万円給付」が盛り込まれ、その一方で「子育て世帯臨時特例給付金」(子育て給付金)が打ち切られるという事態となったのも、時の政治家がこの国の将来よりも次の選挙での勝利を第一に考え、投票数の多い世代を優先する政策を実行しているからと理解すれば、むべなるかなと思えてしまいます。
そうした歪んだ実態を正し、未来志向へとこの国の政治を変えていくため、今回の選挙権年齢引き下げは喜ばしいことでありますが、一番の課題は良い社会を作り出す良い有権者を育成するための「主権者教育」です。
政治や選挙制度に関する基本的知識は「公民」や「現代社会」といった授業で習いはしますが、それを理解すれば主体的で責任ある投票行動を行える良い有権者となれるかと言えば、そうでないことは皆さんご承知の通りです。
そもそも、主権者教育とは一体どういうものでしょうか。文科省の報告書によると、「社会参加に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育」の中心をなす「市民と政治との関わり」を教えることを「『主権者教育』と呼ぶこととする」と明記されているようですが、欧米のようにシチズンシップ教育が確立している国と違い、日本ではそもそも市民としての資質や能力を養成する明確な教育プログラムというものが存在しません。
と言うより、そもそも「あるべき市民像や社会ビジョン」と言ったことに関する共通認識や議論自体がほとんどないこの国で、市民とか社会とかいきなり言われても…というのが日本人の本音ではないでしょうか。
選挙権年齢引き下げを受け泥縄式に、しかも高校だけで「主権者教育」を行うのではなく、本来は初等中等教育全体を通して、民主的社会を支えうる市民となるための基本的な教育=「シチズンシップ教育」を実践するべきです。
シチズンシップ教育の中で、個人の権利や、それと表裏一体をなす義務・責任、他者の価値観に対する尊重、人種・文化・宗教の多様性などについて学び、社会を構成する市民としての心構えやマナーを十分に身に付けた上で、議論を通したコンセンサス形成の実践的授業を積み重ね、そうして初めて主権者教育の段階に入ることができます。
実際、いきなり主権者教育を行うようにと通達された高校の教育現場では、戸惑いと不安の声が大勢を占めています。
最も多く耳にするのが、政治的中立性の確保に関する不安。教師が政治的中立から逸脱した場合、罰則を科すよう法改正を提言している政党もある中、何をもって逸脱とみなすのか、その判断基準や具体例事例も示されぬまま「罰則」という言葉だけが独り歩きしてしまっている今、現場は明らかに委縮しています。
主権者教育を、子どもたちの主体性や思考力・考察力を伸ばし深める良い学習機会ととらえ、より有効で興味深い授業を創造して行こうという意欲は、政治的中立を逸脱する恐怖に押し潰されようとしています
さらに教師たちのやる気を阻むのが、教員研修や授業の時間数を確保することの難しさです。
どの問題の解決も、「学習指導要領」や「学校教育法施行規則」で定められた範囲内でしか動けない教育現場では限界があります。とりあえず教本を配布して(この教本『私たちが拓く日本の未来-有権者として求められる力を身に付けるために』自体はとても良くできており、是非大いに活用すべきと思いますが)、あとはそれぞれの現場でなんとかせいと言われるのは、あまりにもご無体な話であります。
いずれにしても、選挙権年齢の引き下げも主権者教育も、日本の未来を良い方向に変える大切なチャンスです。このチャンスが最大限活かされるよう、各界でもっと議論が巻き起こってくれることを心の底から願ってやみません。
畑恵
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