今回は此方の記事「党議拘束が議会政治をだめにしている」の続編を書きます。
まず、おさらいを兼ねてまとめますと
①日本の「政党」とアメリカの「政党」とは結構意味合いが違います。
アメリカの議員は一人ひとりの主張が違っていて「政党」はその集合体に過ぎません。
日本の感覚で言うと、オバマさんは「民主党のオバマさん」ではなく「オバマ党のオバマさんで、民主党の会員カードを持っています」、同じように「クリントンさんはクリントン党議員で民主党会員カードを所持し」「ブッシュさんはブッシュ党議員で、共和党会員カードを持っています」。この「会員カード」というのは(ざっくり言うと)スポーツクラブの会員カードの様なもので「会員特典が使えて色々便利」というだけで主義主張に対する拘束はありません、※もちろん『会費払わないと除名』など一定の会員規約はありますけど。
この方式だと実に民主的な議会運営が期待できるのですが、お金がかかるのが弱点です。大統領選挙の光景をご覧になった事のある方は多いと思いますが、候補者達は「エ○ザイル、ジャパンツアー」みたいなマネを全米で約1年します。残念ながら「力のないヤツに出馬する資格がない」という流れになってしまいがちです。
②英国議会に欠かせないモノとは?
対して、イギリスの議員はマニフェストを元に活動をしますから多少未熟な議員でも健全な議会運営が可能で、大金を必要としないのが魅力です。※だから、アメリカ大統領選を見ながら『あぁ…○○だなアイツら』…と思っているイギリス人はいると思いますww(思っても言わないのが英国紳士)
英国式の弱点は、議員・有権者に「良識・マナー」と呼ばれる「不文律的概念」が存在しないと独裁的な政党が生まれてしまう点でしょう。
この「英国的良識」の象徴のひとつがイギリス上院議会(日本でいう参議院)です。
英国上院は、日本でいうとシンクタンクや有識者会議の様な役割を成します。国政選挙はありません、爵位を持つ貴族が終身その任に付きます、日本で言うなら『一生参議院議員』という事です。
「なんかソレってズルくない? 」…この様な世論に陥り切らないのは「高貴な者への不文律(ノブレスオブリュージュ)」が担保されている事が大きいのだと思います。
有名な不文律としては「国が戦争状態に陥った際、貴族が最前線に向かう」というものがあります。実際、フォークランド戦争の際にも多くの貴族が最前線に赴きました。
日本ならば「参議院選を総理大臣による推薦制にする」「しかし、他国から侵略を受けた際は議員当人か二親等以内の親族が最前線に赴任する」と定める様なものでしょうか。こうすれば議員御身に危険が及びますから、武力紛争回避へのブレーキとなるでしょう。
でも、仮にこの法が制定されても実際に機能する事はないとも思います。土壇場で議員さんらが「憲法違反だ」「人権無視だ」とわめき散らす事がわかり切っているからです。(実際、憲法違反ですし…汗)
民主主義国家であるイギリスでも土壇場でわめき散らせば議員さんは戦場に赴かなくて済む筈です。でも彼らは戦地に向かいます、民主主義の礎たる個人の利益より騎士の名誉(日本で言う武士道)を重んじるからです。英国政治・議院内閣制とは「民主主義を一部諦める事で始めて成り立つ、究極的に皮肉的な民主主義システムだ」というのが僕の考え方です。
③日本の議院内閣制には限界が来ている
「では今後の日本政治はどうあるべきなのでしょう? 」それは未だわかりません。ただ、少なくとも僕は「大臣のモラルより、ベッキーだかケンタッキーだかのモラルに関心が集まる社会」で議員内閣制の存続はチト荷が重いとは見ています。
甘利大臣があれだけヤラかしても政党支持率が下がらないという事は、名誉や尊厳といった、謂わば「一円のカネにもならない概念」と国民からの支持率にあまり関係がない、と言い切って良いと思われます。…にも拘らず、ベッキー騒動や白鵬の猫だましの様な「庶民の不文律」に関しては極めて注目度が高い国民性な訳です。
日本は民主主義・資本主義国家です、甘利さんや支援者さんが相応のペナルティを受けるのは止むなしとしても、情けないとか不誠実と非難するつもりはないです(注:これはイヤミで言っている訳ではありません)。
ただ、名誉・尊厳に価値を見いだせない社会で議員内閣制を引くと、与党が『ブレーキの効かない暴走列車化』を来す恐れがあります。「自民党や安倍さんが暴走している」…ではなく「今のままだと、どこが与党になっても暴走する」と、申しています。
④過去の失敗を踏襲してはいけない
かつて日本で本格的な議院内閣制やマニュフェストを中心にした政党運営を目指し、失敗した政党が2つありました。
新自由クラブとみんなの党です
マニフェスト中心の政治体系を目指すならば首相公選制実現は厳しい筈です。議院内閣制の王道を目指すなら、まずそれに耐え得る有権者が必要です。誰しも右折をしながら左折する事は出来ないのです。
どんな議論にも枝の話と幹の話があります。誠実さも、安全も、お金も大切な物です。が、それら各々は枝の話です。幹の議論が確立されないうちに…例えば、今話題になっている「憲法を改正する」….なんて大仕事は無理としか思えないのであります。
皆さんはどう考えますか?
天野貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表