21世紀の見取り図は?歴史は終わるのか? --- 岩田 温

激動する中東情勢、イスラム国の出現、EUの危機、高まる排外主義的なナショナリズム…

世界情勢は、一体どのような方向に向かうのか。

冷戦時代は、ある意味で考えることが簡単な時代だった。敵は明らかであり、世界の見取り図は見やすかった。しかし、米ソの冷戦終結とともに、世界は見取り図の無い時代に突入した。

恐らく、冷戦後、最も早く次なる世界の見取り図を描いたのがフランシス・フクヤマだった。彼は『歴史の終わり』の中で、リベラル・デモクラシーの勝利を高らかに宣言し、世界中の政治体制がゆっくりとではあるが、リベラル・デモクラシーへと向かうと宣言した。リベラル・デモクラシーという政治体制に挑戦したナチズムもコミュニズムもリベラル・デモクラシーに勝利することは出来なかった。彼が依拠したのは、ヘーゲルであり、コジェーヴであった。西欧中心主義的で傲慢な主張ともとられかねない主張だが、この結論に対して、反論するのは、いささか難しかった。

批判者の批判は、およそフクヤマの「歴史」の意味を勘違いした批判である場合が多く、「歴史」が終わるというフクヤマの議論は傲慢で単純のようでありながら、なかなか反論が出来なかった。

かつて日本でも、戦時中に『近代の超克』が唱えられ、知識人たちがいかに「近代」を超克するか、真剣な議論が続いたが、その結論は支離滅裂で、およそ一つの政治体制、政治理念を提出するには至らなかった。京都学派の『世界史の哲学』、「世界史的立場と日本」も、政治理念の提示するには至っていない。

それでは、世界は、様々な「事件」を経ながらも、「歴史」としては、「終焉」に向かうのか。
そうしたフクヤマの議論に対抗したのが、ハンチントンの『文明の衝突』だった。彼は世界を幾つかの文明に区別し、「西欧」のみが文明を僭称する時代は終わり、諸文明の間で対立が起る時代に突入すると指摘した。

こうしたハンチントンの議論に対して、トッドは、人類学的な立場(人口問題)を検討しながら、世界はゆっくりと「脱宗教化」、近代化へと向かっていると宣言した(『文明の接近』)。

トッドの議論は、説明過程はフクヤマと異なるものの、結論としては、殆ど差異がないといってよい。重要な差異は、アメリカに対する認識だろう。フクヤマが楽観的にリベラル・デモクラシーの勝利を宣言するのに対し、アメリカが世界を必要とするほど、世界はアメリカを必要としなくなるという指摘をしているからだ(『帝国以後』)。

これらの議論は、いずれも参考になるものだが、一体、これらの議論は、無条件に受け入れることが可能なのか?

ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」といった。「歴史」の意味は、終わった後にならなければ、理解できないということだ。だが、我々は、過去を解釈するだけではなく、これからがどのような時代になるのかを探求したいと望む。完全に予見することは不可能な未来だが、現実に起きた、起きつつある事件の中から、どのような未来になるかを語ることは可能だろう。



岩田温さん写真


編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。


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